アグスティン・ペドロ・フスト
アルゼンチン大統領
アグスティン・ペドロ・フスト・ロロン(Agustín Pedro Justo Rolón、1876年2月26日 - 1943年1月11日)は、アルゼンチンの政治家・軍人。「忌まわしき10年間」の時代のアルゼンチン大統領(在職1932年2月20日-1938年2月19日)。
アグスティン・ペドロ・フスト | |
---|---|
![]() | |
アルゼンチン大統領 | |
任期 1932年2月20日 – 1938年2月19日 | |
副大統領 | フリオ・A・ロカ・Jr. |
前任者 | ホセ・フェリクス・ウリブル |
後任者 | ロベルト・M・オルティス |
個人情報 | |
生誕 | 1876年2月26日 エントレ・リオス州コンセプシオン・デル・ウルグアイ |
死没 | 1943年1月11日 (66歳没) ブエノスアイレス |
国籍 | ![]() |
政党 | コンコルダンシア、UCR-A、PSI、PDN |
専業 | 軍人 |
署名 | ![]() |
兵役経験 | |
所属組織 | アルゼンチン軍 |
軍歴 | 1892–1931 |
最終階級 | 少将 |
経歴
編集父親のアグスティン・ペドロ・フスト(息子と同名)はコリエンテス州知事である。アグスティン・ペドロ・フストは1876年にエントレ・リオス州コンセプシオン・デル・ウルグアイで生まれたが、出生後すぐにブエノスアイレスに移った。11歳の時には士官学校に入学し、ブエノスアイレス大学で土木工学を学んだ。1895年には中尉に、1902年には大尉になり、軍人としては少将まで上り詰めた。
1915年には政治家に転身し、1922年からのマルセロ・トルクァト・デ・アルベアール大統領政権下では防衛大臣を務めた。1930年のクーデターでイポリト・イリゴージェン大統領が追放されると、ホセ・フェリクス・ウリブルが大統領に就任して「忌まわしき10年間」が始まると、政治的混乱や恐慌が続いていた1932年2月20日には後任の大統領に就任した。1933年にはイギリスとの間でロカ=ランシマン協定を締結している(ロカとは当時の副大統領フリオ・ロカのこと)。1938年2月19日まで大統領を務めた。1943年に亡くなり、ブエノスアイレスのレコレータ墓地に埋葬された。