アイスランドの国章
アイスランドの国章(アイスランドのこくしょう、英: Coat of arms of Iceland、アイスランド語: Skjaldarmerki Íslands)は、スカイブルーの地に内部に赤の十字が入った銀色の十字すなわちアイスランドの国旗が描かれている鉄の盾を、コンパートメントとしてのパホイホイ溶岩(玄武岩)の上に乗ったアイスランドの4体の守護者がサポーターとして支えている意匠である。サポーターとなっている雄牛はアイスランド南西部の、鷲は北西部、ドラゴンは北東部、巨人は南東部の守護者である[1][2]。
アイスランドの国章 | |
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詳細 | |
使用者 | アイスランド共和国 |
採用 | 1944年7月1日 |
盾 | 青地に赤と銀の十字 |
サポーター | ランドヴェーッティル |
コンパートメント | パホイホイ溶岩 |
紋章記述は、「Azure, on a cross argent a cross gules」である。
アイスランドの元首は、アイスランドの国章が描かれた燕尾形の国旗を用い、アイスランド国家警察は、国旗の使用ができない場合は、白地にアイスランドの国章が描かれた旗を用いる。その他の国家組織も、同様の旗を用いている。
歴史
編集アイスランドは、時代によって、下記のようないくつかの国章を用いてきた。
- 最初の紋章は、6本の青い横縞と6本の銀色の横縞が描かれた盾で、12のアイスランドコモンウェルスを表していた。
- 次の紋章は、1258年にノルウェー王ホーコン4世からギッスル・ソルヴァルドソン(アイスランド初代総督[3])に与えられたもので、ノルウェーの国章の盾とライオンの色を変え、盾の下部に青と銀色の横縞を入れたものだった。
- 1500年頃の紋章は、赤い盾に王冠をつけた鱈の干物が描かれているものだった。魚は、場合によって様々な描かれ方をされた。
- 1903年10月3日、紋章は、青い盾に白いハヤブサが描かれたものに変更された。1919年2月12日に、4体の守護者が描かれた紋章に代わるまで使われた[4]。
- 1944年7月17日に独立を果たすと、現在の紋章が正式に採用された。
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アイスランドコモンウェルス時代の国章
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1262年以降の国章
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16世紀から1903年までの国章
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1903年以降の国章
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1919年から1944年の国章
守護者について
編集→詳細は「ランドヴェーッティル」を参照
国章に4体の守護者たち「ランドヴェーッティル」が描かれているのは、13世紀にアイスランドで書かれた『ヘイムスクリングラ』にある伝承に基づいている。すなわち、デンマーク国王ハラルド・ゴルムスソンがアイスランドを征服するために魔法使いをアイスランドに派遣したところ、アイスランドの各方角にこの強力な4体のランドヴェーッティルが存在しており魔法使いを撃退したため、征服を諦めざるを得なかったという[2][5]。 なお、これらの守護者は、アイスランド・クローナの硬貨の片面にも描かれている。
脚注
編集- ^ "History". Icelandic Coat of Arms. Reykjavik: Prime Minister's Office. Retrieved 2009-05-22
- ^ a b “国の象徴「国の紋章」”. アイスランド大使館. 2008年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月16日閲覧。 “盾の左側に雄牛、左上に肉食鳥、右上にドラゴン、右側巨人...この4守護神は...ヘイムスクリングラ...に記述されています。盾は玄武岩でできた石板の上に載っています。”
- ^ カールソン 2002、32頁。
- ^ Prime Ministry of Iceland. “Ágrip af sögu skjaldarmerkis Íslands (en. History of Iceland's coat of arms)”. Prime Ministry of Iceland. 2012年1月4日閲覧。
- ^ スノッリ・ストゥルルソン「第三十三章 ハラルド・ゴルムスソン」『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 -』 (二)、谷口幸男訳、プレスポート・北欧文化通信社、2009年3月、62-63頁。ISBN 978-4-938409-04-3。または ISBN 978-4-905392-04-0。
参考文献
編集- カールソン, グンナー『アイスランド小史』岡沢憲芙監訳、小森宏美訳、早稲田大学出版部、2002年9月。ISBN 978-4-657-02718-4。