われらの世界[1][注 1]』(われらのせかい)は、1967年6月25日から26日にかけ放送された世界初の多元衛星中継テレビ番組[注 2]である[3]

われらの世界
ジャンル 特別番組
原案 オーブリー・シンガー英語版
脚本 アントニー・ジェイ英語版
作曲 ジョルジュ・ドルリュー
オープニング "Our World theme"
国・地域 別記参照
言語 別記参照
各話の長さ 2時間
製作
撮影地 別記参照
放送
放送チャンネル別記参照
放送期間1967年6月25日 (1967-06-25) - 放送中
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概要

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イギリス・英国放送協会(BBC)をキーステーションに、5大陸・14か国の放送局が参加。31地点を4個の衛星で結び、世界24カ国で中継放送された[4]

BBCは当初、この番組を『80分世界一周旅行』というタイトルで衛星中継を使った紀行ものとして欧州放送連合(EBU)に提案した。しかし、番組の準備でEBUのスタッフがインドを訪れた時、人口増加と貧困・飢餓の現実を目にして企画を変更し、タイトルも『われらの世界』に変更した[5]。この番組はコマーシャルを入れない方針のため、アメリカ三大ネットワークは参加せず[注 3]、同国からは非商業教育テレビ局のNET(アメリカ教育テレビジョン、現:PBS=公共放送サービス)が参加することになった[7]。放送20日前の1967年6月6日に第3次中東戦争が勃発、戦争は6日間で終結したもののこの余波で6月21日にソビエト連邦チェコスロバキアポーランド東ドイツハンガリー東側諸国が参加を取り止めた。理由として「西側諸国の中にアラブ諸国を非難しているものがあり、『われらの世界』は人道主義的理想を失った」とソ連のタス通信が述べた[7][8]

日本からは日本放送協会(NHK)が参加し、1967年6月26日の3時55分から6時3分(JST)にかけてNHK総合テレビで放送された[注 4][9]。日本での進行役は、当時NHKのアナウンサーだった宮田輝が務めた[10]

参加放送局

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国名 放送局
  オーストラリア オーストラリア放送協会(ABC)
  オーストリア オーストリア放送協会(ORF)
  カナダ カナダ放送協会(CBC)
  デンマーク デンマーク放送協会(DR)
  フランス フランス放送協会(ORTF 現:フランス・テレビジョン
  イタリア イタリア放送協会(RAI)
  日本 日本放送協会(NHK)
  メキシコ テレシステマ・メヒカーノ(TSM)(現:テレビサ
  スペイン テレビシオン・エスパニョーラ(TVE)
  スウェーデン スウェーデン・ラジオ(SR)
  チュニジア ラジオテレビ・チュニジア(RTT 現:チュニジアテレビ放送公社)
  イギリス 英国放送協会(BBC)
  アメリカ アメリカ教育テレビジョン(NET 現:公共放送サービス
  西ドイツ ドイツ公共放送連盟(ARD)

テーマ

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この番組は6つのテーマによって番組が成り立っていた。

赤ちゃん誕生
最初に、札幌北海道大学病院での新生児出産が取り上げられた[11][注 5]。その他、デンマークオーフスメキシコシティカナダエドモントンでも中継された[13]
世界のこの瞬間
中継地点はオーストリアリンツ製鉄所パリのヘリコプターからの眺め、チュニジアの首都チュニススペイン南部の漁港ウエルバ、米ソ首脳会談中のアメリカニュージャージー州・グラスボロ(Glassboro)の州立大学の学長公邸、カナダ・ゴーストレイク(Ghost Lake)の牧場、バンクーバーの海岸、東京三田地下鉄工事現場、メルボルン[14]
過密世界
中継地点はニューヨークキャンベラの食糧問題研究所、アメリカ中北部のウィスコンシン州高松海老養殖場、モントリオール万国博覧会の様子、スコットランドの農場[15]
健全な肉体を求めて
当時のバタフライ世界記録保持者であるカナダのエレイン・タナー(Elaine Tanner)、イタリア障害馬術選手ディンツェア兄弟、スウェーデンのカヌー選手が記録に挑戦する姿、実験海中住宅をフランスマルセイユ沖に沈める様子を取り上げた[16]
芸術の追求
サン・ピエトロ大聖堂で『ロミオとジュリエット』の映画撮影の様子、西ドイツのバイロイト祝祭劇場でオペラ『ローエングリン』第2幕のリハーサルの様子、フランスのサン=ポール=ド=ヴァンスの美術館でアレクサンダー・カルダージョアン・ミロが出演、メキシコシティで音楽番組の収録の様子、ニューヨークリンカーン・センターレナード・バーンスタインヴァン・クライバーンがリハーサルをしている様子、ビートルズがレコーディングをしている様子を取り上げた[17]
イギリス代表」として出演したビートルズは、ロンドンEMIレコーディング・スタジオにて当時の未発表曲である「愛こそはすべて」のレコーディング・セッションを6分間にわたり披露した[注 6][18]。このセッションにはほかにもフェデリコ・フェリーニローリング・ストーンズエリック・クラプトンマリアンヌ・フェイスフルキース・ムーングラハム・ナッシュなどが参加した。
宇宙のかなたへ
最後に、ケープ・ケネディ基地の様子、オーストラリアパークス天文台の巨大な電波望遠鏡を取り上げて終了する[19]

当初はこれに「世界の食糧」を加えた7つのセクションで放送する予定だったがカットされ、このセクションで取り上げる予定のものは「過密世界」に組み込まれた[18]

参考文献

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  • 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修室 編『NHK年鑑'68日本放送出版協会、1968年9月15日https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2474365 
  • 日本放送出版協会 編『「放送文化」誌に見る昭和放送史』日本放送出版協会、1990年。 
  • 日本放送協会 編『20世紀放送史 上』日本放送出版協会、2001年。 
  • 大村亨『「ビートルズ」と日本 ブラウン管の記録 - 出演から関連番組まで、日本のテレビが伝えたビートルズのすべて-』シンコーミュージック・エンタテイメント、2017年。ISBN 978-4-401-64445-2 

脚注

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注釈

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  1. ^ 番組名について『OUR WORLD 〜われらの世界〜』と表記されることもある[2]
  2. ^ 当時は「宇宙中継番組」と称されていた。
  3. ^ ただし、技術協力はCBSが行った[6]
  4. ^ NHK総合テレビでは、同日19時30分から21時40分に再放送された。
  5. ^ その時に誕生した男児は当時のNHK会長より「はじめ」と命名された[12]
  6. ^ 日本進行役の宮田は「こちらはロンドン、今は夜です。ロンドンのスタジオでは今ビートルズが新しいレコードを吹き込んでいるところです」と紹介した。

出典

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  1. ^ 高度経済成長期 時代を見つめて(3) 初の世界同時生中継”. NHKアーカイブス. 日本放送協会. 2024年8月31日閲覧。
  2. ^ ビートルズ、世界同時中継だった“All You Need Is Love”のレコーディングを当時のエンジニアが振り返った逸話が明らかに”. NME Japan. キョードー東京 (2019年7月22日). 2024年8月31日閲覧。
  3. ^ 大村 2017, p. 236.
  4. ^ 20世紀放送史 上 2001, p. 556.
  5. ^ 20世紀放送史 上 2001, pp. 556–557.
  6. ^ 「サンデー・スコープ:地球を包む宇宙中継」『読売新聞』1967年6月4日、21面。
  7. ^ a b 20世紀放送史 上 2001, p. 557.
  8. ^ “ソ連、番組参加を拒否 世界一周のテレビの中継”. 朝日新聞: p. 14. (1967年6月22日) 
  9. ^ 番組表検索結果詳細 宇宙中継「われらの世界」 —OUR WORLD—〜5大陸14か国を結んで〜”. NHKクロニクル. 日本放送協会. 2017年11月11日閲覧。
  10. ^ NHK年鑑'68 1968, p. 170.
  11. ^ 「NHKジャーナル UHF好調,親局も使用可能」『放送教育』第22巻第6号、日本放送教育協会、1967年9月1日、19頁、NDLJP:2341277/10 
  12. ^ NHK札幌放送局/編集『札幌とともに半世紀 NHK札幌放送局のあゆみ』1984年、82-83頁。 
  13. ^ 「放送文化」誌に見る昭和放送史 1990, pp. 216–217.
  14. ^ 「放送文化」誌に見る昭和放送史 1990, pp. 217–218.
  15. ^ 「放送文化」誌に見る昭和放送史 1990, pp. 218–219.
  16. ^ 「放送文化」誌に見る昭和放送史 1990, pp. 219–220.
  17. ^ 「放送文化」誌に見る昭和放送史 1990, p. 220.
  18. ^ a b 大村 2017, p. 238.
  19. ^ 「放送文化」誌に見る昭和放送史 1990, p. 221.

外部リンク

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