まるよし (新潟県)
まるよしは、新潟県三条市を中心に百貨店・スーパーマーケットを運営していた企業。2002年(平成14年)に民事再生法の適用を受け、全店舗が閉店となった[4]。
種類 | 株式会社[1] |
---|---|
本社所在地 |
日本 新潟県三条市本町3丁目7-6[1] |
設立 | 1952年(昭和27年)9月29日[1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 総合スーパー[1] |
代表者 | 吉田行雄[1] |
資本金 |
50万円(設立時)[2] ↓ 1億3000万円[1] |
売上高 | 112億3510万円(1988年(昭和63年)1月期)[1] |
営業利益 | 548万円(1988年(昭和63年)1月期)[1] |
従業員数 |
340[3] ↓ 450[1] |
決算期 | 1月[3][1] |
主要株主 | 東京中小企業育成29.4%[1] |
概要
編集1856年(安政3年)に小間物商として創業し[2]、1952年(昭和27年)9月29日に[1]吉田熊次が資本金50万円で「株式会社まるよし百貨店」を設立して法人化し[2]、1959年(昭和34年)に「株式会社まるよし」に商号を変更した[1][2]。
1967年(昭和42年)に鉄筋コンクリート造4階建ての社屋が完成し、1971年(昭和46年)に5階と6階を増築した[6]。 1980年(昭和55年)3月に本店を増築した[1]。
三条市本町3丁目の本店は5階建ての建物で、総合スーパー(GMS)の性格のほか、1992年(平成4年)の改装後は百貨店の性格も併せ持ち、ながの東急百貨店との資本・業務提携も行われていた[7]。これは県央地域初の百貨店とも言われ[7]、三条中央商店街の核店舗として成り立っていた[8]。
近隣には長崎屋東三条店やジャスコ2店舗(三条昭栄店、三条店)などの競合店舗があった[7]。
なお、本店の隣接地は三条郵便局の跡地再開発として1980年代に7階建ての商業ビル「シティ・パーク」建設の構想が進められていたが、頓挫し駐車場の状態が続いた[9]。
過去に存在した店舗
編集- 店舗面積約4,300m2[3]。
- 店舗面積約759m2[10]。
- 加茂支店(加茂市上条3561-1[11]、1973年(昭和48年)9月開店[1])
- 一ノ木戸店(、1974年(昭和49年)7月開店[12])
- 見附店(見附市学校町1-2-27[13]、1975年(昭和50年)3月開店[1])
- (初代)本成寺店(1975年(昭和50年)9月開店[1])
- 東栄店(三条市一ノ木戸152-1[14]、1975年(昭和50年)12月開店[1])
- 新津店(新津市本町2-4-24[15]、1975年(昭和50年)3月開店[1] - 1988年(昭和63年)1月閉店[1])
- 荒町店(三条市荒町2-1-26[16]、1982年(昭和57年)4月開店[1])
- (2代目)本成寺店(三条市条南町3-10[17]、1982年(昭和57年)10月開店[1])
- 大崎店(三条市大字西大崎字町裡1229-1[18]、1985年(昭和60年)5月開店[1])
- 加茂メリア店(1986年(昭和61年)11月開店[1])
- 塚野目店(三条市[1]、1988年(昭和63年)3月開店[1])
閉店後の店舗
編集2002年9月に閉店した9店舗のうち一部は他の事業者に引き継がれ、同年12月に燕中央店が「マルイ中央店」として[19]、三条市内の3店舗(塚野目店、大崎店、荒町店)と加茂市の加茂メリア店は清水商事系列の「フクヤ」としてそれぞれオープンした[20][21]。なお、加茂メリア内のスーパーはその後、サンゴマート、リオン・ドールへと変遷している[22][23]。
三条中央商店街の本店跡1~3階には、2004年(平成16年)4月にスポットの運営するスーパー「良食生活館」がオープン[24]。しかし2008年(平成20年)に閉店となり、その後は商店街独自の「まごころ」が引き継いだもののこれも閉店[25]。そして2011年(平成23年)のビル解体[26]を経て跡地に2012年(平成24年)、スーパー「あいでん」がオープンしたが、これも2019年(令和元年)11月に閉店し[25]、代わって2021年(令和3年)9月、リオン・ドールがオープンした[27]。
なお、加茂市の商店街に面していた加茂五番町店は、2002年の閉店の後、市が土地と建物を取得し、まちづくり交付金を活用して地域交流センターとして改装された[28][29]。2階建ての施設には食品スーパーのにいつフードセンターと浴場つき中央コミュニティセンターが入り、それぞれ2006年5月、同年7月にオープンした[30][31]。なお、浴場つき施設となったのは、2006年1月の火災で市内唯一の銭湯「朝日湯」が存続を断念したことが契機である[32]。
五番町店と加茂メリア店は、加茂市の商店街に位置しており、まるよし閉店の際には存続を求める2万人以上の署名があった[33]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『全国繊維企業要覧 昭和64年版 東日本篇』 信用交換所大阪本社、1988年9月20日。pp2027
- ^ a b c d 『日本繊維商社銘鑑 1969年版』 東京信用交換所、1968年9月15日。pp1741
- ^ a b c d 『東日本繊維小売商総覧 1979年版』 信用交換所東京本社、1978年6月1日。pp921
- ^ “まるよしが民事再生法適用、負債30億円、8日でいったん営業停止”. ケンオー・ドットコム. (2002年9月8日)
- ^ “まるよし4店舗は早ければ6日にも営業終了”. ケンオー・ドットコム. (2002年9月5日)
- ^ 『全国繊維企業要覧 昭和49年版 東日本篇』 信用交換所大阪本社、1973年9月1日。pp1665
- ^ a b c “まるよし―本店改装、百貨店に、大手量販店に対抗、高級化”. 日経流通新聞. (1992年12月17日). p. 8
- ^ “まるよしが閉店、125年の老舗にいったん幕”. ケンオー・ドットコム. (2002年9月2日)
- ^ “三条中央商店街、再開発ビル建設延期――出店調整が難航”. 日本経済新聞. (1989年4月22日). p. 22 地方経済面 新潟
- ^ a b c 『食品工業総合名鑑』 光琳書院、1964年。pp16-14
- ^ 『全国商業通覧 1979年版 上巻』 通商産業調査会、1979年2月。pp1921
- ^ 『全国繊維企業要覧 昭和54年版 東日本篇』 信用交換所大阪本社、1978年9月20日。pp1507
- ^ 『新潟県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp107
- ^ 『新潟県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp79
- ^ 『新潟県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp93
- ^ 『新潟県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp68
- ^ 『日本金融名鑑 1986年版 特別資料編』 日本金融通信社、1985年10月22日。pp191
- ^ 『事業所名鑑 昭和63年版』 総務庁統計局、1988年12月。pp1014
- ^ “まるよしの旧9店舗のうち、まず燕中央店がマルイ燕中央店としてオープン”. ケンオー・ドットコム. (2002年12月6日)
- ^ “旧まるよし4店舗がフクヤとして19日オープン”. ケンオー・ドットコム. (2002年12月16日)
- ^ 「市政報告その1 旧まるよし「メリア店」が12月19日、再開いたしました。」(PDF)『広報かも』第558号、加茂市、2002年12月、5頁。
- ^ “メリア店と下田店を展開するスーパーのサンゴマートが事業停止 破産申請へ”. ケンオー・ドットコム. (2019年7月1日)
- ^ “「メリア」のスーパーが322日ぶりに復活”. ケンオー・ドットコム. (2020年5月18日)
- ^ “旧まるよし本店跡で15日、良食生活館三条店オープン”. ケンオー・ドットコム. (2004年4月13日)
- ^ a b “あいでんショック またも買い物難民問題に直面”. ケンオー・ドットコム. (2019年11月26日)
- ^ “三条市丸井今井邸の白いフジの花が満開、4年前にフジ棚に移してから最高に見事な花房をつける”. ケンオー・ドットコム. (2015年5月7日)
- ^ “三条の中心街 待望のスーパー復活 2年ぶり 初日100人超並ぶ”. 新潟日報. (2021年9月29日)
- ^ 「旧まるよし五番町店に「地域交流センター」を開設」(PDF)『広報かも』第593号、加茂市、2005年11月、7-10頁。
- ^ 「地域交流センター1階に「にいつフードセンター」がオープン」(PDF)『広報かも』第555号、加茂市、2006年5月、2-3頁。
- ^ “加茂市、地域交流センターに浴場付き中央コミュニティセンターをオープン”. ケンオー・ドットコム. (2006年7月22日)
- ^ 「五番町にお風呂と多目的ホール等を備えた中央コミュニティセンターがオープンしました」(PDF)『広報かも』第603号、加茂市、2006年7月、5-7頁。
- ^ 「五番町に新しい風呂付きコミュニティセンターを開設」(PDF)『広報かも』第595号、加茂市、2006年1月、3-5頁。
- ^ 「まるよし存続へ27,539人の署名提出」(PDF)『広報かも』第555号、加茂市、2002年9月、2-7頁。
関連項目
編集- パルム (三条市) - 本店の近隣の再開発ビル。入居するスーパーは競合関係にあった。