そこまでいうか! 熱血!正義の60分

そこまでいうか! 熱血!正義の60分(そこまでいうか!ねっけつ!せいぎのろくじゅっぷん)は、ニッポン放送で1992年10月1日から1993年4月2日に放送されたトーク番組

そこまでいうか! 熱血!正義の60分
ジャンル トーク番組
放送方式 生放送
放送期間 1992年10月1日 - 1993年4月2日
放送時間 平日 20:00 - 21:00
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN
パーソナリティ パーソナリティ欄参照
出演 アシスタント欄参照
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概要

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個性的で熱血漢と言われる各界の有名人たちが日替わりでパーソナリティを務め、世の中の様々な社会問題に熱血トークで斬り込むというコンセプトの番組。番組タイトルはニッポン放送の1992年度 ステーションキャッチフレーズ「そこまでいうか! ニッポン放送 そこまでやるか! ニッポン放送」に因む[1]

ネット局の北海道放送(HBCラジオ)は火曜日パーソナリティの日高晤郎がはたえ金次郎に差し替えられた(ニッポン放送からの裏送り)。これは日高が『ウィークエンドバラエティ 日高晤郎ショー』など、札幌テレビ放送STVラジオ)のラジオパーソナリティであったため[注釈 1]

出演者

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パーソナリティ

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アシスタント

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肩書き無しはニッポン放送アナウンサー
  • 火曜日 - 増山さやか
  • 木曜日 - 久保田妙子(フリーアナウンサー)
  • 金曜日 - 田代優美(ニッポン放送アナウンサー(当時))

ネット局

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エピソード

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  • たかじんが番組スタッフと対立して、あまりのストレスからノイローゼとなり、生放送中に倒れて救急車で運ばれたことがあった。この時は前番組『峰竜太のナンデモアルキメデス』のパーソナリティ 峰竜太が代理で引き続き担当した[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 日高個人の事情ではなく、北海道の放送業界事情によるもの。
  2. ^ HBCラジオはパーソナリティを差替えて、ニッポン放送からの裏送りで放送した。

出典

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  1. ^ ラジオ新番組速報版三才ブックス)1992年秋号 12ページ
  2. ^ サンケイスポーツ 1992年11月20日 芸能面

関連項目

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ニッポン放送 平日 20:00 - 21:00(ナイターオフ)
前番組 番組名 次番組
そこまで言うか! 熱血!正義の60分
1992年度