しま丸
しま丸は、フジフェリーが運航していたフェリー。後に関西汽船でフェリーくろしおとして就航した。
しま丸 | |
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関西汽船「フェリーくろしお」 前後にサイドランプ、側面に名瀬港乗降用タラップが後付された姿 | |
基本情報 | |
船種 | フェリー |
船籍 |
日本 ギリシャ インド |
所有者 |
フジフェリー 来島興産 関西汽船 |
運用者 |
フジフェリー 太平洋沿海フェリー 関西汽船 |
建造所 | 林兼造船下関造船所[1](第1173番船) |
姉妹船 | いせ丸[2] |
航行区域 | 沿海[2] |
IMO番号 | 7328736 |
改名 |
しま丸 フェリーくろしお SEATRAILER |
経歴 | |
起工 | 1973年1月24日[2] |
進水 | 1973年7月19日[2] |
竣工 | 1973年12月13日[1] |
就航 | 1973年12月 |
最後 | 2003年、インドで解体 |
要目 | |
総トン数 | 7,083 トン[1] |
載貨重量 | 2,996 DWT[1] |
排水量 | 8,980 トン(満載時)[2] |
全長 | 140.9 m[1] |
垂線間長 | 128.0 m[1] |
幅 | 22.4 m[1] |
深さ | 8.0 m[1] |
満載喫水 | 5.5 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 三菱-MAN V9V 40/54 2基[1] |
推進器 | 2軸[1] |
最大出力 | 20,000馬力(連続)[1] |
定格出力 | 17,000馬力[2] |
最大速力 | 24.4ノット[1] |
航海速力 | 21.5ノット[1] |
航続距離 | 3,200海里[2] |
旅客定員 | 670名[1] |
乗組員 | 55名[2] |
車両搭載数 | トラック104台、乗用車45台[1] |
概要
編集フジフェリーの松阪 - 名古屋 - 東京航路開設にあたって、いせ丸とともに林兼造船下関造船所で建造され、1973年12月13日に竣工した。松阪港の整備の遅れなどから航路開設が遅延したため、日本沿海フェリーに傭船され、1974年10月まで東京 - 苫小牧航路で運航された後、1974年10月17日、フジフェリーに戻り東京 - 松阪航路に就航した。
1977年12月15日、大阪商船三井船舶に売却され、1978年2月、尾道造船(尾道)で改装、7,060 トン
1978年3月、関西汽船の沖縄航路のフェリー化のために傭船され、フェリーくろしおとなり、阪神 - 奄美 - 那覇航路に就航した。
1980年10月25日、大洋フェリーに売却。
1982年8月20日関西汽船に売却。
1982年来島どっくに売却。
1988年来島興産に移籍。
1990年11月、さんふらわあ、さんふらわあ2、くるしま7、くいーんふらわあ2とともに22億5千万円で来島興産から関西汽船に売却された。 1998年3月、沖縄航路の廃止により、引退した。
1998年、ギリシャのExpress Seatrailersに売却され、SEATRAILERとなり、コリントス - ポルト - マグヘラ航路で運航された。 1999年、 Minoan Flying Dolphinsに売却され、パトラ - ポルト - マグヘラ航路で運航された。 2001年には、再びコリント - ポルト - マグヘラ航路で運航された。
2002年6月、運航から外れエレウシスで係船された。 2003年9月、スクラップとしてインドに売却され、SEATRAILに改名されて回航された後、解体された。
設計
編集いせ丸の同型船である。
船内
編集船室
編集- 特等室(2名×6室)[3] - 12名
- 1等洋室(6名×14室) - 84名
- 1等和室(4名×16室) - 64名
- 2等室 - 460名
- ドライバー室 - 72名
設備
編集- プロムナードデッキ[3]
- 展望喫茶室
- Aデッキ[3]
- エントランスホール
- 案内所
- エントランス
- ラウンジ
- ゲームコーナー
- レストラン
- 売店
- 浴室
- 2等室
- 1等室
- 特等室
- Bデッキ[3]
- 2等寝台
- 浴室