さんらもん丸
さんらもん丸(さんらもんまる)は、かつて三菱商事船舶部(1943年6月に三菱汽船となる)が所有・運航したタンカー。
さんらもん丸 | |
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基本情報 | |
船種 | タンカー |
クラス | さんらもん丸型タンカー |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 |
三菱商事 三菱汽船 |
運用者 |
三菱商事 三菱汽船 大日本帝国海軍 |
建造所 | 三菱重工業長崎造船所 |
母港 | 東京港/東京都 |
姉妹船 | さんくれめんて丸 |
信号符字 | JWWJ |
IMO番号 | 41262(※船舶番号) |
建造期間 | 290日 |
就航期間 | 2,930日 |
経歴 | |
起工 | 1935年2月4日 |
進水 | 1935年9月14日 |
竣工 | 1935年11月20日 |
除籍 | 1944年1月5日 |
最後 | 1943年11月27日被雷沈没 |
要目 | |
総トン数 | 7,309トン |
純トン数 | 5,439トン |
載貨重量 | 11,260トン |
全長 | 137.0m |
垂線間長 | 131.0m |
型幅 | 17.5m |
型深さ | 10.9m |
高さ |
24.99m(水面から1番マスト最上端まで) 24.07m(水面から2番マスト最上端まで) 9.44m(水面から船橋最上端まで) |
喫水 | 8.664m |
主機関 | 三菱ディーゼル機関 1基 |
推進器 | 2軸 |
最大出力 | 3,624BHP |
定格出力 | 3,300BHP(計画) |
最大速力 | 15.091ノット |
航海速力 | 13.3ノット |
乗組員 | 41名 |
1941年12月23日徴用。 高さは米海軍識別表[1]より(フィート表記) |
さんらもん丸 | |
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基本情報 | |
艦種 | 特設運送船(給油船) |
艦歴 | |
就役 |
1943年9月1日(海軍籍に編入時) 呉鎮守府部隊/呉鎮守府所管 |
要目 | |
兵装 | 不明 |
装甲 | なし |
搭載機 | なし |
徴用に際し変更された要目のみ表記 |
船歴
編集三菱商事が「さんぺどろ丸」級タンカーの改良型として、1935年(昭和10年)に三菱重工業長崎造船所で建造したタンカーで、「さんらもん丸」級2隻の1番船である。同型船としては、2番船の「さんくれめんて丸」があるほか、準同型の「さんぺどろ丸」級として「さんぢゑご丸」「さんるいす丸」「第一小倉丸」「第二小倉丸」が建造されている。
竣工後は主に北米~横浜間の石油輸送に従事していたが、アメリカの石油輸出制限後は目的地がボルネオ島に変更された。太平洋戦争勃発直後の1941年(昭和16年)12月23日に日本海軍により徴用され、海軍一般徴用船となった。1943年(昭和18年)9月1日には特設運送船(給油船)に移籍した。
1943年(昭和18年)11月4日にボルネオのミリで原油10,600トンを積み、途中で第221船団に加わって日本を目指したが、済州島から門司へ航行中の11月27日午前0時過ぎにアメリカの潜水艦シーホースの雷撃に遭い右舷に被雷。さらに午前1時半には左舷にも被雷し、約10分後に沈んだ。船長を含め28名が戦死した。
2代目
編集太平洋戦争後に三菱汽船の後身である三菱海運のタンカーとして同名の二代目船が建造されている。1954年(昭和29年)に竣工後、原油輸送に活躍。1964年(昭和39年)4月1日、三菱海運が日本郵船と合併したため日本郵船に移籍。1969年(昭和44年)8月11日、パナマのLimsan Corp. S.Aに売却され、Limmonに改名。以降の消息は不明である[2]
脚注
編集- ^ San_Clemente_Maru_Class
- ^ “さんらもん丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2020年3月21日閲覧。
参考文献
編集- 船舶技術協会『船の科学』1979年7月号 第32巻第7号
- 海人社『世界の艦船』2003年12月号 No.619
- 松井邦夫、『日本・油槽船列伝』、成山堂書店、1995年、ISBN 4-425-31271-6