こじま (巡視船・2代)
「こじま」(JCG Kojima, PL-21)は、海上保安庁の巡視船。海上保安大学校の3代目の練習船として運用されていた[2][3]。
こじま | |
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基本情報 | |
建造所 | 呉造船所[1] |
運用者 |
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船種 | 1,100トン型PL[1] |
前級 | こじま (海防艦型) |
次級 | こじま (3,000トン型) |
母港 | 呉港[1] |
船歴 | |
計画 | 昭和38年度[1] |
起工 | 1963年19月16日 |
進水 | 1964年2月14日 |
就役 | 1964年5月20日[1] |
退役 | 1993年2月1日 |
要目 | |
常備排水量 | 1,201 t[1] |
総トン数 | 1,066 t |
全長 | 69.6 m[1] |
最大幅 | 10.3 m[1] |
深さ | 5.4 m[1] |
吃水 | 3.53 m |
主機 |
浦賀スルザー7MD51 ディーゼルエンジン×1基 |
出力 | 2,600仏馬力(PS)[1] |
推進器 | スクリュープロペラ×1軸 |
速力 | 15ノット[1] |
航続距離 | 6,000海里 (13kt巡航時)[1] |
乗員 | 乗員53名+便乗者61名 |
兵装 |
・76mm単装緩射砲×1基 ・40mm単装機銃×1基 ・20mm単装機銃×1基 |
搭載艇 |
・7.5m発動機付救命艇×2隻 ・6mサーフボート×2隻 |
来歴
編集海保大の練習船としては、1951年から1954年6月まで「栗橋」が用いられたのち、旧海軍海防艦型の1隻である「こじま」が用いられてきた。しかし老朽化に伴って、昭和38年度の概算要求で代船が盛り込まれた。これによって建造されたのが本船である。なお、さらに昭和39年度の国庫債務負担行為歳出分からも建造費が支出されて、計4億530万4000円の予算が計上された[2]。
設計
編集船型としては長船首楼・中央機関室型が採用された。アメリカ西海岸への遠洋航海への使用が想定されたことから、居住区には全て空調が施されている[4]。学生居住区の船尾側には、全員を収容できる学生食堂兼教室が配置された。またその他、船長公室、教官室、学生図書室が設けられていた。水線下形状は、主機関を連続最大出力の85パーセントで運転した状態で最適の船型となるようにされている[2]。
主機関としては、スルザー社製7MD51ディーゼルエンジンを浦賀重工業(旧玉島ディゼル工業)社がライセンス生産して搭載した。機関の自動化・合理化のため機関室内に制御室を設けており、主機関の遠隔操縦装置、エンジンテレグラフや機関計器の自動監視装置、主機関のデータ自動記録装置、補機操縦の自動化および遠隔指示装置(一部)、電動補機の集中制御化(一部)、重油重力タンク油面の遠隔指示を実施した[4]。一方、この機関制御室のほかにも、練習船としての性格から、実習のため機関室などには相当のスペースが求められたことから、1基・1軸推進船として妥協せざるをえなかった[2]。このために、遠航中に機関不調で難儀したこともあったとされている[3]。
兵装としては、新造時には3インチ単装緩射砲とボフォース 60口径40mm機関砲、70口径20mm単装機銃を搭載した。昭和52年度に3インチ砲は撤去され、新たに12.7mm単装機銃を装備している[5]。
参考文献
編集- ^ a b c d e f g h i j k l 「資料・海上保安庁」『世界の艦船』 通巻第379集、1987年5月号、海人社、1987年5月1日、93-108頁。
- ^ a b c d 真山良文「練習巡視船「こじま」三代記」『世界の艦船』第466号、海人社、1993年6月、141-145頁。
- ^ a b 「海上保安庁全船艇史」『世界の艦船』第613号、海人社、2003年7月、1-216頁、NAID 40005855317。
- ^ a b 徳永陽一郎、大塚至毅『海上保安庁 船艇と航空 (交通ブックス205)』成山堂書店、1995年、74-75頁。ISBN 4-425-77041-2。
- ^ 「写真特集 海上保安庁現有船艇の全容」『世界の艦船 1992年5月号(通巻第450集)』海人社、1992年5月1日、84頁。