こうもり塚古墳

日本の岡山県総社市にある古墳

こうもり塚古墳(こうもりづかこふん)は、岡山県総社市にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、出土品は総社市指定重要文化財に指定されている。古墳周辺は吉備路風土記の丘県立自然公園として整備されている[1]

こうもり塚古墳

国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 岡山県総社市上林
位置 北緯34度40分3.35秒 東経133度47分11.79秒 / 北緯34.6675972度 東経133.7866083度 / 34.6675972; 133.7866083
形状 前方後円墳
規模 墳長100m
後円部径55~60m
埋葬施設 横穴式石室
刳抜式家型石棺・陶棺・木棺
出土品 武具・馬具・装飾品など
築造時期 6世紀後半
被葬者 伝・黒媛
史跡 国の史跡
有形文化財 出土品(総社市指定文化財)
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墳丘
左に後円部、右に前方部。

旧称を「黒媛塚」とも。箭田大塚古墳牟佐大塚古墳と合わせて岡山県三大巨石墳と総称される。

概要

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古墳時代後期から終末期にかけての6世紀後半に築造されたと考えられている。自然の丘陵を利用して築造されている。墳長約100m・後円部径約55~60mで二段で構築されていたと推定される。葺石埴輪は確認されていない。

後円部南側に花崗岩の巨石を組み合わせた横穴式石室が開口している。石室は両袖式で全長約19.4m、玄室は奥行7.7m・幅3.61m・高さ3.6m、玄室の天井石は3枚の巨石で構成されている。玄室には長さ2.38m・幅1.4m・高さ1.31mの刳抜式家型石棺がある。石棺は貝殻石灰岩製で岡山県井原市浪形山で産出されたものである。1978年昭和53年)に行われた発掘調査では土師質亀甲形陶棺残欠や鉄釘が出土した。鉄釘の存在から石棺、陶棺のほかに木棺も埋葬されていたと推定されており、複数の被葬者があったと思われる。

古墳は概ね盗掘を受けて副葬品は残っていないと思われた。しかし、単鳳環頭柄頭・大刀・鉄など武具馬具、ガラス小玉・水晶製切子玉・金環など装飾品、鉄滓、須恵器類などが出土した。

こうもり塚古墳の名称は、石室内にコウモリが棲息していたことから名付けられた。また、黒媛塚の名は、仁徳天皇の寵愛を受けた吉備の美女・黒媛の墓であるとの伝承に由来する。しかし、古墳の築造年代は6世紀後半で、仁徳天皇の時代は4世紀とされており、黒媛とは時代が合致しない。

画像

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文化財

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国の史跡

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  • こうもり塚古墳 - 1968年(昭和43年)2月15日指定[2]

総社市指定文化財

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  • 重要文化財(有形文化財)
    • こうもり塚古墳出土品(考古資料) - 令和6(2024)年5月22日指定[3]

脚注

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  1. ^ 吉備路風土記の丘県立自然公園”. 岡山県. 2024年11月17日閲覧。
  2. ^ こうもり塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ こうもり塚古墳出土品(総社市「総社観光ナビ」)。

参考文献

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  • 乗岡実・行田裕美/編 近藤義郎/編集協力 『吉備の古墳 下〔備中・備後〕 -吉備考古ライブラリィ5-』 吉備人出版/刊 2000年 46-51ページ
  • 岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 125-126ページ
  • 現地説明板 1986年8月 文部省・岡山県教育委員会/設置

関連項目

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外部リンク

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