きらすまめし
由来
編集「きらすま」と「めし」に区切って米料理と誤解されることがよくあるが、正しくは「きらす」と「まめし」に区切られる。「きらす」は「おから」を、「まめし」は「まぶす」を意味する方言であり、全体では「おからをまぶしたもの」という意味になる[1]。
もともとは、魚をおろした後の中落ち、刺身にした後の切れ端、骨の回りの身と、大豆の絞りかすであるおからとの余り物で作られた料理で、江戸時代の質素倹約の生活の名残であるといわれる。特に7月の臼杵祇園まつり(八坂神社の夏祭り)の時に作られる行事食[2]でもある。
脚注
編集- ^ 豊田謙二監修 『九州宝御膳物語 おいしい郷土料理大事典』、西日本新聞社、2006年、66ページ
- ^ 日本の食生活全集大分編集委員会編、『日本の食生活全集44 聞き書大分の食事』p326、1992年、東京、社団法人農山漁村文化協会、ISBN 4-540-92001-4