いざなぎ流
概要
編集いざなぎ流は、土佐国で独自発展した陰陽道の要素を含む民間信仰である。
伝承によれば、天竺(インド)のいざなぎ大王から伝授された24種の方術に基づくとする。法具は無く、儀式の都度にそれに応じた定式の和紙の切り紙(御幣)を使う。民間信仰ではあるが、祭祀の祝詞・呪文は体系化されて定式的に伝承されている。
祭儀は太夫と呼ばれる神職によって執り行われるが、太夫は家元制度や世襲でもなく、特定の教団組織もなく、男女の性別も問わない[1]。地域の中の適格者と認められた人物が膨大ないざなぎ流の祭文と祭礼の様式を伝承する[1]。
中世の京都で発展した陰陽師の家元である土御門家や賀茂朝臣氏とは歴史的な直接の関連性が確認されない状況が長らく続いたが、近年になって物部村の民家から土御門家による免許状が発見されたことで、江戸時代には土御門家から地方で独自発展した陰陽道の流れを汲む信仰と公認され、太夫も地方の民間陰陽師として認可されていた事は明らかとなった[2]。