GTR (バンド)
GTR(ジーティーアール)は、イギリスのロックバンド。1986年デビュー。
GTR | |
---|---|
出身地 | イングランド ロンドン ウェストミンスター |
ジャンル | プログレッシブ・ロック |
活動期間 | 1986年 – 1987年 |
レーベル |
アリスタ CBSソニー |
共同作業者 |
エイジア ジェネシス イエス マイク・オールドフィールド マリリオン |
旧メンバー |
スティーヴ・ハケット(g) スティーヴ・ハウ(g) マックス・ベーコン(vo) フィル・スポルディング(b) ジョナサン・ムーヴァー(dr) |
来歴 編集
元ジェネシスのスティーヴ・ハケット、元イエス、エイジアのスティーヴ・ハウというプログレッシブ・ロック界で活躍した2人のギタリストをフィーチャーしたバンド。バンド名は「GUITAR」の略語。
ボーカリストにマックス・ベーコン(元ナイトウィング、ブロンズ、マイク・オールドフィールド)、ベーシストにフィル・スポルディング(トーヤ、マイク・オールドフィールド、ミッシェル・ポルナレフ)、ドラマーにアメリカ人のジョナサン・ムーヴァー(元マリリオン)を迎えて結成された。
メンバー間のトラブルでエイジアを脱退したハウは、イエス、エイジア時代からマネージメントを任せていたブライアン・レーンによってハケットに引き合わされた。ハケットはジェネシス脱退以降、久しくソロ・アーティストとして活動していたが、ハウとのバンド結成に大いに意欲を湧かせた。レーンは、当時、ホイットニー・ヒューストンのブレイクで躍進していたアリスタ・レコードにGTRを売り込み、1986年のトップ・プライオリティ・アーティストとしての契約を取り付けた。その結果、強力なプロモートを得て、シングル「ハート・マインド (When the Heart Rules the Mind)」もアルバム『GTR』も全米15位以内に入り、アルバムはプラチナ・レコードを獲得した。
両スティーヴはアルバム制作に於いて、エレクトリック、アコースティックは勿論、ギターシンセサイザーまでをも導入し、サウンドの多くの部分をギターで構築した。しかしテクニックをひけらかすようなプレイは抑え、楽曲の完成度に重点を置いたので、2人のスーパーセッションといった種類の音楽ではなく、まとまりのあるバンド・サウンドとなった。プロデュースにジェフ・ダウンズを迎えたため、エイジアに似た雰囲気も感じられるが、2人の熟達したプレイと若い3人の瑞々しいプレイのバランスも良い好作に仕上がった。
それぞれの過去のレパートリーも披露したライブ・ツアーが行われ(キーボードにはレコーディングには参加していないマット・クリフォードがサポート・メンバーとして同行)、順調に見えた活動だが、ハケットが脱退してソロ活動に戻ってしまった。
残されたハウは、ロバート・ベリー(ギター、ボーカル。後にキース・エマーソン、カール・パーマーと「3(スリー)」を結成)を迎え入れ「ネロトレンド」と改名して再開するもうまく行かず、マックス・ベーコンが脱退。ロバート・ベリーがリード・ボーカルも担当しデモ・テープを作成するが、それらの曲をGTRまたはネロトレンドの名義で公式に発表することなく解散してしまう。その時の一部の曲は、マックス・ベーコンのソロ・アルバム、ロバート・ベリーのソロ・アルバム、エイジアのアルバムで聴くことができる。
GTRは実質活動期間1年弱という短命に終わってしまった。
ディスコグラフィ 編集
スタジオ・アルバム 編集
- 『GTR』 - GTR (1986年)
ライブ・アルバム 編集
- 『キング・ビスケット・ライブ』 - King Biscuit Flower Hour Presents GTR (1997年)
シングル 編集
- 「ハート・マインド」 - "When the Heart Rules the Mind" (1986年)
- 「ハンター」 - "The Hunter" (1986年)
ビデオ、DVD 編集
- Making of GTR (1986年) ※VHS。メイキング・ドキュメンタリー。
- GTR Live (2008年) ※DVD。ミュンヘンでのライブ映像の抜粋。