AMAスーパークロス

アメリカ合衆国のモトクロス選手権

AMAスーパークロス選手権AMA Supercross Championship、略称:AMA SX)は、アメリカの主要都市で開催されるスタジアム型モトクロス、即ちスーパークロスの全米選手権である。

2004年
Monster Energy AMA Supercross
カテゴリ オートバイ
国・地域 アメリカ合衆国の旗 United States
開始年 1974年
クラス 450SX, 250SX East, 250SX West, KTM Junior
コンストラクター 日本の旗 ホンダ
日本の旗 ヤマハ
日本の旗 カワサキ
日本の旗 スズキ
オーストリアの旗 KTM
オーストリアの旗 ハスクバーナ
スペインの旗 ガスガス
ライダーズ
チャンピオン
アメリカ合衆国の旗 チェイス・セクストン
チーム
チャンピオン
チームHRC
公式サイト www.supercrossonline.com

モンスターエナジーがタイトルスポンサーとなり、1~5月に開催される。

概要 編集

スタジアムなどに大量の土砂を搬入して人工的に作られた1周約1分程度のコースで争われる。コース自体も大規模な3連ジャンプやウォッシュボードセクション[注 1]、リズムセクションなど、通常のモトクロスでは見かけることが少ないショーアップ要素を含んだコースとなっている。

使用されるモトクロッサーは基本的にAMAモトクロスのものと変わらないが、サスペンションのセッティングは固くする傾向にある。AMAモトクロスとは異なり市販されていないプロトタイプマシンの出走は禁止されているが、市販化を前提としてAMAに事前に申請した場合、1シーズンに限り特例としてプロトタイプマシンの参加が許される。2015年現在、この特例を用いて出走し、勝利したのは1997年のラスベガスにおけるダグ・ヘンリーのみである[注 2]

1990年代後半からAMAモトクロスでは4ストロークエンジンの優位性が認められていくが、AMAスーパークロスではコース特性の違いから、瞬発力に優れた2ストロークエンジンが00年代半ばまで猛威を振るい続けた[1]

スーパークロスはAMAが本場であり、2003年から2007年まではカレンダーの大部分をFIMスーパークロス世界選手権と共有されており、さらに2008年から2021年までは完全に同じカレンダーで、AMAスーパークロスにFIM世界選手権が掛けられている状態だった。

5〜8月開催のAMAモトクロスとは開催時期がズレているため、望めば両方に参加できるようになっている。同様にモトクロス世界選手権全日本モトクロス選手権を戦うライダーがシーズンオフのトレーニングとしてスポット参戦することも多い。

2023年9月から、AMAスーパークロス/AMAモトクロスの上位者による最強決定戦「AMAスーパーモトクロス選手権」(SMX)が開催されている。

なおスーパークロスはスタジアム内だが空は開放されているため実質的には屋外であり、天井付きで完全に屋内で行われるモトクロスは「AMAアリーナクロス選手権」が存在する。

クラス 編集

 
ManuRivas AMASupercross(2010年)
  • 450ccクラス(旧スーパークロス、250ccクラス)
    4ストローク450cc/2ストローク250ccのマシンによるクラス。選手権のメインクラス。全米選手権として開催されている。
  • 250ccクラス(旧スーパークロスライツ、125ccクラス)
    4ストローク250cc/2ストローク125ccのマシンによるクラス。東地区と西地区に分かれて開催されており、最終戦のイースト・ウェスト・ショーダウン(旧シュートアウト)で、両地区のトップライダーが直接対決する。

ポイント 編集

1位=25、2位=22、3位=20、4位=18、5位=16、6位=15、7位=14、8位=13、9位=12、10位=11、11位=10、12位=9、13位=8、14位=7、15位=6、16位=5、17位=4、18位=3、19位=2、20位=1

ポイントリーダーは赤い背景のゼッケンを使用する。

歴代チャンピオン 編集

[2][3][4][5]

250 500  
1974年  ピエール・カールスマーカーヤマハ   ゲイリー・セミックスハスクバーナ  
1975年   ジム・エリスカンナム   スティーブ・スタッカブルマイコ  
1976年   ジム・ワイナートカワサキ    
1977年   ボブ・ハンナ(ヤマハ)    
1978年    
1979年    
1980年   マイク・ベル(ヤマハ)    
1981年   マーク・バーネット(スズキ)    
1982年   デニー・ハンセンホンダ    
1983年   デビット・ベイリー(ホンダ)    
1984年   ジョニー・オマラ(ホンダ)    
250 125西地区 125東地区
1985年   ジェフ・ワード(カワサキ)   ボビー・ムーア英語版スズキ   エディ・ウォーレン(カワサキ)
1986年   リック・ジョンソン(ホンダ)   ドニー・シュミット(カワサキ)   ケリー・タービン(ホンダ)
1987年   ジェフ・ワード(カワサキ)   ウィリー・サラット(スズキ)   ロン・ティチナー(スズキ)
1988年   リック・ジョンソン(ホンダ)   ジェフ・マタセビッチ(カワサキ)   トット・デフープ(スズキ)
1989年   ジェフ・スタントン(ホンダ)   デイモン・ブラッドショー(ヤマハ)
1990年   タイ・デイビス(ホンダ)   デニー・スティーブンソン(スズキ)
1991年   ジャン・ミッシェル・バイル(ホンダ)   ジェレミー・マクグラス(ホンダ)   ブライアン・スウィンク(ホンダ)
1992年   ジェフ・スタントン(ホンダ)   ブライアン・スウィンク(スズキ)
1993年   ジェレミー・マクグラス(ホンダ)   ジミー・ガディス(カワサキ)   ダグ・ヘンリー(ホンダ)
1994年   デイモン・ハフマン(スズキ)   エズラ・ラスク(スズキ)
1995年   ミカエル・ピション(カワサキ)
1996年   ケビン・ウインダム(ヤマハ)
1997年   ジェフ・エミッグ(カワサキ)   ティム・フェリー(スズキ)
1998年   ジェレミー・マクグラス(ヤマハ)   ジョン・ダウド(ヤマハ)   リッキー・カーマイケル(カワサキ)
1999年   ネイサン・ラムゼイ(カワサキ)   エルネスト・フォンセカ(ヤマハ)
2000年   シェイ・ベントリー(カワサキ)   ステファン・ロンカダ(ヤマハ)
2001年   リッキー・カーマイケル(カワサキ)   エルネスト・フォンセカ(ヤマハ)   トラビス・パストラーナ(スズキ)
2002年   リッキー・カーマイケル(ホンダ)   トラビス・プレストン(ホンダ)   チャド・リード(ヤマハ)
2003年   ジェームス・スチュワート(カワサキ)   ブランデン・ジェスマン(スズキ)
2004年   チャド・リード(ヤマハ)   アイバン・テデスコ(カワサキ)   ジェームス・スチュワート(カワサキ)
2005年   リッキー・カーマイケル(スズキ)   グラント・ラングストン(カワサキ)
450 250西地区 250東地区
2006年   リッキー・カーマイケル(スズキ)   グラント・ラングストン(カワサキ)   デイビー・ミルサップス(ホンダ)
2007年   ジェームス・スチュワート(カワサキ)   ライアン・ビロポート(カワサキ)   ベン・タウンリー(カワサキ)
2008年   チャド・リード(ヤマハ)   ジェイソン・ローレンス(ヤマハ)   トレイ・カナード(ホンダ)
2009年   ジェームス・スチュワート(ヤマハ)   ライアン・ダンジー(スズキ)   クリストフ・プーセル(カワサキ)
2010年   ライアン・ダンジー(スズキ)   ジェイク・ウェイマー(カワサキ)
2011年   ライアン・ビロポート(カワサキ)   ブロック・ティックル(カワサキ)   ジャスティン・バーシア(ホンダ)
2012年   イーライ・トマック(ホンダ)
2013年   ケン・ロクスン(KTM)   ウィル・ハーン(ホンダ)
2014年   ジェーソン・アンダーソン(KTM)   ジャスティン・ボーグル(ホンダ)
2015年   ライアン・ダンジー(KTM)   クーパー・ウェブ(ヤマハ)   マーヴィン・ムスキャン(KTM)
2016年   マルコム・スチュワート(ホンダ)
2017年   ジャスティン・ヒル(カワサキ)   ザック・オズボーン(ハスクバーナ)
2018年   ジェイソン・アンダーソン(ハスクバーナ)   アーロン・プレッシンジャー(ヤマハ)
2019年   クーパー・ウェブ(KTM)   ディラン・フェランディス(ヤマハ)   チェイス・セクストン(ホンダ)
2020年   イーライ・トマック(カワサキ)   ディラン・フェランディス(ヤマハ)   チェイス・セクストン(ホンダ)
2021年   クーパー・ウェブ(KTM)   ジャスティン・クーパー(ヤマハ)   コルト・ニコルス(ヤマハ)
2022年   イーライ・トマック(ヤマハ)   クリスチャン・クレイグ(ヤマハ)   ジェット・ローレンス(ホンダ)
2023年   チェイス・セクストン(ホンダ)   ジェット・ローレンス(ホンダ)   ハンター・ローレンス(ホンダ)

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余談 編集

スーパークロス創設の第一人者であり、プロモーターとしても本レースを興行的に初めて成功させたマイケル・グッドウィンは、コンストラクターとしてのインディ500参戦やSCOREインターナショナル(バハ1000の主催)設立、ドライバーとしてのバハ1000優勝などの輝かしい経歴を持つミッキー・トンプソン夫妻の射殺事件(1988年)の計画・指示を行ったとして2001年にカリフォルニア州オレンジ郡で起訴され、2007年カリフォルニア州パサデナの連邦地方裁判所にて仮釈放無しの終身刑の判決を受けた。

グッドウィンとトンプソンはスーパークロスのバギー版を作ろうとお互いの会社を合併させたが、お互いの血気盛んな性格が災いしてか数カ月で破談。この時の裁判でトンプソンが51万4千ドルを勝ち取ってグッドウィンが破産に追い込まれたという事実や、その後グッドウィンが友人や仲間に対し「トンプソンを殺してやる」という趣旨の発言をしていたという15人もの証人からの証言、さらにはグッドウィンがトンプソンの家を偵察していたという目撃情報もあり、状況証拠は十分ということでの判決だった。またグッドウィン夫婦は事件の2ヶ月前に27.5万ドル相当の金を購入の上で英領タークス・カイコス諸島の銀行に40万ドルを送金し、事件の5ヶ月後に夫婦で出国して2年以上戻らないという奇妙な動きもしていた。

2015年にもカリフォルニア第2地方控訴裁判所で判断がされたが、「グッドウィンを事件に結び付ける直接的な証拠はなかったが、一連の状況証拠は"圧倒的"である」として、この判決を支持している[6]

一方で物的証拠には乏しく、実行犯とされる二人組も捕まっていないことから、この判決に疑問を呈する声もある[7]。グッドウィンは上述の控訴審で、トンプソンの妹のコリン・キャンベルに対し「哀悼の意を表するが、無実なので謝ることはできない」と告げた。

TV局のCBSの法医学犯罪ドラマ『CSI:科学捜査班』シリーズではこの事件をモチーフとしたエピソード「Early Rollout」が2004年に放送されたが、これが民間伝承を形成し、グッドウィンに不利をもたらしたと彼の弁護士は主張している[8]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ その名のとおり、洗濯板のような細かい凹凸が連続するセクション。
  2. ^ マシンはヤマハ・YZM400。これはAMAスーパークロスにおける4ストロークエンジン搭載モトクロッサーの初勝利でもある。

出典 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集