1945年イギリス総選挙(1945ねんイギリスそうせんきょ、英語: 1945 United Kingdom general election)は、1945年7月5日イギリスで行われた議会庶民院)議員の総選挙である。

1945年イギリス総選挙
1945 United Kingdom general election
イギリス
1935年 ←
1945年7月5日
→ 1950年

内閣 第1次チャーチル内閣
解散日 1945年6月15日
公示日 1945年6月15日
改選数 640
選挙制度 単純小選挙区制:601
中選挙区制  :030
単記移譲式投票009
有権者 選挙制度を参照
有権者数 33,240,391
選挙後の党派別勢力図

投票率 72.8%(増加01.7%)
  第1党 第2党
 
党首 クレメント・アトリー ウィンストン・チャーチル
政党 労働党 保守党
党首就任 1935年10月 1940年10月
党首選挙区 ライムハウス ウッドフォード
前回選挙 154 386
獲得議席 393 197
議席増減 増加0239 減少0189
得票数 11,557,821 8,716,211
得票率 48.01% 36.21%
得票率増減 増加09.7% 減少015.6%

  第3党 第4党
 
党首 アーチボルド・シンクレア アーネスト・ブラウン
政党 自由党 国民自由党
党首就任 1935年11月 1940年
党首選挙区 ケイスネス・サザーランド リース
前回選挙 21 33
獲得議席 12 11
議席増減 減少009 減少022
得票数 2,177,938 686,652
得票率 9.05% 2.85%
得票率増減 増加02.3% 減少00.8%

選挙区別獲得議席

  労働党   保守党
  自由党   国民自由党


選挙前首相

ウィンストン・チャーチル
保守党

選出首相

クレメント・アトリー
労働党

概要 編集

1900年選挙1918年選挙と並ぶカーキ選挙である。これら2つの選挙と比較した場合、戦時中の指導者を有した政党が敗北したという点で、他のカーキ選挙と一線を画す。

議員の任期は5年であるが、任期満了前に解散されることが多い。しかし今回は、前回行われた1935年の総選挙後に、第二次世界大戦が勃発したため、任期が延長されていた。

第二次世界大戦[注 1]、初めて行われた総選挙で、1935年に前回総選挙が行われて以来、10年ぶりの総選挙となった。大戦を勝利に導いたチャーチル首相への支持率が高く、保守党優位が伝えられていたが、福祉の充実を訴えた労働党が予想に反して勝利を収める結果となり、初めて労働党が庶民院において単独過半数の議席を獲得する事になった。同時に労働党党首クレメント・アトリーは初めて労働党単独内閣を組閣する事になった。

選挙データ 編集

内閣 編集

解散日 編集

  • 1945年6月15日[1]

投票日 編集

  • 1945年7月5日

改選数 編集

選挙制度 編集

投票方法 編集

秘密投票、単記投票、1票制

選挙権 編集

  • 小選挙区・中選挙区
21歳以上のイギリス国籍を有する男女、および英連邦市民、アイルランド共和国市民で一定の欠格要件(刑務所に服役中など)に該当しない市民で、居住地域の自治体で選挙人登録をした者。
  • 大学選挙区
選挙権を有する大学卒業者。

被選挙権 編集

  • 小選挙区・中選挙区
21歳以上のイギリス国籍を有する男女、および英連邦市民、アイルランド共和国市民で一定の欠格要件(刑務所に服役中など)に該当しない市民で、居住地域の自治体で選挙人登録をした者。
  • 大学選挙区
被選挙権を有する大学卒業者。

有権者数 編集

33,240,391

選挙活動 編集

党派別立候補者数 編集

党派 党首 候補者 解散前
保守党 ウィンストン・チャーチル 559 386
労働党 クレメント・アトリー 603 154
国民自由党 アーネスト・ブラウン 49 33
自由党 アーチボルド・シンクレア 306 21
独立労働党 ボブ・エドワーズ 5 2
アイルランド国民党 ジェームズ・マクスパラン 3 2
グレートブリテン共産党 ハリー・ポリット 21 1
連邦党 C・A・スミス 23 0
スコットランド国民党 ダグラス・ヤング 8 0
プライド・カムリ アビ・ウィリアムズ 7 0
民主党 ノーマン・リース・ヘイ=クラーク 5 0
連邦労働党 ハリー・ミズリー 1 0
リバプール・プロテスタント H・D・ロングボトム 1 0
キリスト教平和主義者 1 0
農民党 1 0
グレートブリテン社会党 1 0
統一社会主義運動 ガイ・アルドレッド 1 0
無所属(スコットランド国民党系) 13 2
無所属(国民自由党系) 10 1
無所属(労働党系) 7 2
無所属(進歩主義者) 7 0
無所属(保守党系) 6 0
無所属(民族主義者) 4 0
無所属(自由党系) 3 0
無所属 38 5
総計 1,683 615

選挙結果 編集

党派別獲得議席 編集

e • d    1945年イギリス庶民院議員総選挙 (1945年7月5日施行)
 
党派 獲得
議席
増減 得票数 得票率 解散時
労働党 393  149 11,557,821 48.01% 154
保守党 197  189 8,716,211 36.21% 386
自由党 12  009 2,177,938 9.05% 21
国民自由党 11  022 686,652 2.85% 33
無所属 8  006 133,191 0.55% 38
無所属(国民自由党系) 2  001 130,513 0.54% 1
連邦党 1  001 110,634 0.46% 0
グレートブリテン共産党 2  001 97,945 0.41% 1
アイルランド国民党 2   92,819 0.39% 2
無所属(スコットランド国民党系) 2   65,171 0.27% 2
無所属(労働党系) 2   63,135 0.26% 2
無所属(保守党系) 2  002 57,823 0.24% 0
独立労働党 3  001 46,769 0.19% 2
無所属(進歩主義者) 1  001 45,967 0.19% 0
無所属(自由党系) 2  002 30,450 0.13% 0
スコットランド国民党 0   26,707 0.11% 0
プライド・カムリ 0   16,017 0.07% 0
連邦労働党 0   14,096 0.06% 0
無所属(民族主義者) 0   5,430 0.02% 0
リバプール・プロテスタント 0   2,601 0.01% 0
キリスト教平和主義者 0   2,381 0.01% 0
民主党 0   1,809 0.01% 0
農民党 0   1,068 0.00% 0
グレートブリテン社会党 0   472 0.00% 0
統一社会主義運動 0   300 0.00% 0
総計 640  025 24,073,025 100.0% 615
有効投票数(有効率) 24,073,025
無効票・白票数(無効率)
投票者数(投票率) 72.8%
棄権者数(棄権率) 17.2%
無投票区・有権者数 129,729
有権者数 33,240,391 100.0%
出典:Archived 2012年1月30日, at the Wayback Machine.

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 但し、1945年7月時点で大日本帝国はまだ降伏はしていなかったため、厳密には戦時中であるといえるが、ヨーロッパ戦線ではすでにヒトラー自殺し、ナチス・ドイツが5月8日に無条件降伏英語版したため、実質的な終戦となっていた。
  2. ^ 大学選挙区の内訳は、1人区(ロンドン大学選挙区、クイーンズ大学ベルファスト選挙区、ウェールズ大学選挙区)、2人区(ケンブリッジ大学選挙区、オックスフォード大学選挙区、イングランドの統合大学選挙区)、3人区(スコットランドの統合大学選挙区)。

出典 編集

  1. ^ Parliamentary Election Timetables”. 庶民院 (1997年3月25日). 2022年7月3日閲覧。

参考文献 編集

関連項目 編集

  • イギリスの政治
  • NHS-“National Health Service”(国営医療事業)の略称。労働党政権下の1948年に創設された。
  • ゆりかごから墓場まで-労働党政権で進められた社会福祉政策のスローガン。英語名は”from the cradle to the grave”。

外部リンク 編集