領ヶ谷城(りょうがやじょう)は、埼玉県さいたま市南区太田窪にあった日本の城

logo
logo
領ヶ谷城
埼玉県
領ヶ谷城跡に建つ料亭
領ヶ谷城跡に建つ料亭
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 佐々木盛綱?
築城年 平安時代末?
主な城主 佐々木盛綱、佐々木持清、千葉国胤[1]
廃城年 不明
遺構 土塁
指定文化財 未指定
位置 北緯35度51分0.2秒 東経139度40分58.1秒 / 北緯35.850056度 東経139.682806度 / 35.850056; 139.682806
地図
領ヶ谷城の位置(埼玉県内)
領ヶ谷城
領ヶ谷城
テンプレートを表示

概要 編集

浦和市の中央部である現在のさいたま市南区太田窪にあった平安時代末期の城跡で、佐々木盛綱[注釈 1]によって築城されたと伝わる。

現在城跡には鰻屋料亭である「幸楽園」が営業しており、「領ヶ谷城址」と店舗看板にも明記されるほか、公式ウェブサイトにも城に関する記述がみられる。また料亭周辺は「領ヶ谷城遺跡遺跡番号01-213)」として周知されている[2]。店舗は1930年(昭和5年)に開業し、昭和半ば頃までは周辺に状態のよい土塁が残されていたが、現在は宅地開発の影響で消滅している部分が多い。

城の部分は高台であるが、西側は上谷沼調節池(元上谷沼)や藤右衛門川などが流れる低地が広がる[3]

アクセス 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ この地域では「佐々木守綱」の表記で伝わっている。

出典 編集

参考文献 編集

関連文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集