長谷部 倉蔵(はせべ くらぞう、1860年12月9日万延元年10月27日[1]) - 1939年昭和14年)2月8日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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愛媛県出身[2]小松藩養正館で学ぶ。越智郡波止浜村(現・今治市)、新居郡橘村(現・西条市)各村長、小松町(現・西条市)長、愛媛県会議員、西条銀行取締役、周桑銀行監査役となる[2]

1904年第9回衆議院議員総選挙において愛媛県郡部から立憲政友会公認で立候補してトップ当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1908年第10回衆議院議員総選挙には不出馬。1935年に死去した。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第二十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1904年、25頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』506頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』46頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。