長崎市立池島小中学校
長崎県長崎市にある小中併設校
長崎市立池島小中学校(ながさきしりつ いけしましょうちゅうがっこう)は、長崎県長崎市池島町にある公立の小学校・中学校併設校である。
長崎市立池島小中学校 | |
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北緯32度53分2.274秒 東経129度35分44.268秒 / 北緯32.88396500度 東経129.59563000度座標: 北緯32度53分2.274秒 東経129度35分44.268秒 / 北緯32.88396500度 東経129.59563000度 | |
過去の名称 |
外海村立神浦小中学校池島分校 外海村立池島小中学校 外海町立池島小中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎市 |
設立年月日 | 1959年(昭和34年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
B142210001483 小学校) C142210000847 (中学校) | (
所在地 | 〒857-0071 |
長崎県長崎市池島町1522番地 | |
外部リンク | 長崎市立池島小中学校 |
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概要
編集外海村立神浦小学校と外海村立神浦中学校の分校として設立され、1959年(昭和34年)に分離した。分離当初は小・中併設校だったが、池島炭鉱の隆盛により児童・生徒数が増加したため、1965年(昭和40年)には併設を解消した。しかし、池島炭鉱の閉山や過疎化・少子化に伴い児童・生徒数は次第に減少したことから、2006年(平成18年)に再び併設校となった。
教育目標として、「心身ともに健康で、ねばり強く生活する児童生徒の育成」を標榜している。
校歌は、1961年(昭和36年)に制定された。歌詞は公募によるもの、作曲は国立音楽学校教授の小山章三によるものである。小学校と中学校が併設していなかった時期があるため、小・中学校それぞれの歌詞がある。
2016年現在、在籍児童数は1名のみ[2]。
沿革
編集- 分校時代
- 1877年(明治10年)6月 - 神浦小学校池島分教場が設置される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「神浦村立神浦国民学校池島分教場」と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、「神浦村立神浦小学校池島分校」と改称。新制中学校「神浦村立神浦中学校池島分校」を併置。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 2村合併により外海村が発足し、「外海村立神浦小学校池島分校」・「外海村立神浦中学校池島分校」と改称。
- 独立
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)6月13日 - 東側校舎(6教室)が完成する。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 4月1日 - 小中学校が分離し、外海町立池島小学校および外海町立池島中学校となる。
- 5月31日 - 中学校校舎が完成し、翌日をもって移転を完了する。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 学級増により、中学校が小学校の校舎1教室を借用する。
- 1970年(昭和45年)3月10日 - 校舎南側グリーンベルト (60m) が卒業生より寄贈される。
- 1972年(昭和47年)2月10日 - 中学校の校舎を増築する。
- 1990年(平成2年)9月10日 - 中学校にコンピュータ室が完成し、10月17日より使用する。
- 1991年(平成3年)9月27日 - 台風19号によりコンピュータ室および視聴覚室に大きな被害を受ける。
- 2001年(平成13年)11月29日 - 池島炭鉱が閉山する。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)4月1日 - 再び小・中併設校となり、長崎市立池島小中学校となる。校舎は小学校のものを使用。
- 2015年(平成27年)4月1日 - 池島中学校が休校となる。
交通
編集- 公共交通機関
- 長崎市コミュニティバス 「グランド前」バス停
- 最寄りの道路
周辺
編集- 池島簡易郵便局
脚注
編集参考文献
編集- 「外海町誌」(1974年(昭和49年)、外海町役場)