賀島政延

日本の江戸時代後期~末期(幕末)の武士。阿波徳島藩家老賀島政徳長男で、阿波賀島氏11代当主(部屋住料2000石→家督相続後1万石)。家老・江戸勤番を勤めた

賀島 政延(かしま まさのぶ、寛政10年(1798年) - 慶応2年7月29日1866年9月7日))は、徳島藩家老賀島家11代当主。

父は徳島藩家老賀島政徳。正室は長谷川利根の娘。子は賀島政綽賀島政範。幼名は磯之丞。通称は長門、出雲。

経歴 編集

寛政10年(1798年)、徳島藩家老賀島政徳の長男として生まれる。文化9年(1812年)、父の死去により家督と知行1万石を相続する。文政2年(1819年)、江戸詰めとなる。文政3年(1820年)、仕置家老を拝命する。天保12年(1841年)、上郡一揆の責めを負い仕置を辞任する。天保14年(1843年)、藩主蜂須賀斉裕の家督相続御礼言上の際に、江戸城に登城して将軍徳川家慶に拝謁する。弘化3年(1846年)、再び仕置家老となる。同年、領内富岡に郷校暇修館が設立され、敷地を提供して領民の学問の興隆に協力した。安政4年(1857年)、病により仕置家老を辞任する。慶応2年(1866年)7月29日死去。享年69。

参考文献 編集

  • 「阿南市史」