蜂須賀重隆

日本の江戸時代中期~後期の武士。阿波富田藩世嗣蜂須賀隆寿次男で、阿波徳島藩8代藩主蜂須賀宗鎮養子(後に廃嫡)。従四位下内匠頭。隆寿流蜂須賀氏2代当主

蜂須賀 重隆(はちすか しげたか)は、江戸時代中期の阿波国徳島藩の世嗣。通称は帯刀。官位従四位下内匠頭

 
蜂須賀重隆
時代 江戸時代中期
生誕 享保15年(1730年
死没 天明7年12月19日1788年1月26日
改名 和十郎(幼名)、隆興(初名)、重隆
別名 帯刀(通称
官位 従四位下内匠頭
阿波徳島藩世嗣
氏族 蜂須賀氏
父母 蜂須賀隆寿、吉成氏
蜂須賀宗鎮
兄弟 重隆、千姫ら
早川包由
八重、喜憲隆穀
テンプレートを表示

生涯 編集

阿波富田藩世嗣だった蜂須賀隆寿(5代藩主蜂須賀綱矩の三男)の次男として誕生。母は吉成氏。幼名は和十郎、初名は隆興(たかおき)。

従兄弟で世嗣だった重矩寛延4年(1751年)に早世したため、代わって8代藩主・蜂須賀宗鎮の養子に迎えられ嫡子となる。

宝暦2年(1752年)に徳川家重に拝謁し叙任、偏諱を受けて重隆と改名するが、翌宝暦3年(1753年)に廃嫡された。代わって、宗鎮の実弟・至央が嫡子となった。天明7年(1787年)、58歳で没した。

系譜 編集

参考文献 編集

  • 『蜂須賀家記』