藤原経平
平安時代中期から後期の公卿。藤原北家小野宮流。従三位・非参議。大宰大弐
藤原 経平(ふじわら の つねひら)は、平安時代中期から後期にかけての貴族。藤原北家小野宮流、権中納言・藤原経通の子。官位は従三位・大宰大弐。
時代 | 平安時代中期-後期 |
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生誕 | 長和3年(1014年) |
死没 | 寛治5年7月3日(1091年7月21日) |
別名 | 經平 |
官位 | 従三位、大宰大弐 |
主君 | 後一条天皇→後朱雀天皇→後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇→堀河天皇 |
氏族 | 藤原北家小野宮流 |
父母 | 父:藤原経通、母:源高雅の娘 |
兄弟 | 経仲、経季、経平、顕家、藤原範輔室 |
妻 | 高階成順の娘、藤原家業の娘 |
子 | 通宗、通俊、睦子、藤原顕季室、藤原経子 |
経歴 編集
後一条朝で諸陵助・図書助を経て、従五位下・刑部少輔に叙任される。この間の長元9年(1036年)円教寺にて、侍従・藤原良貞と闘打に及んだため殿上籍を除かれている。のち、越前守・尾張守・播磨守と後朱雀朝から白河朝前期にかけて長く受領を務めた。
承保2年(1075年)大宰大弐に遷ると、永保3年(1083年)正四位上、応徳3年(1086年)にはかつての大宰府赴任の功により従三位に叙せられて公卿に列した。