蒲生 重郷(がもう しげさと、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将賢秀の四男。氏郷の弟。肥後守を称した。勇猛な武将だったが、その武勇を兄氏郷に恐れられ、蒲生家臣の岡野平治兵衛石原源八下迫城で殺された[1]というが、ほかにも異説があり定かではない。

墓所は法泉寺清寿院

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 法泉寺・清寿院にある説明版[要文献特定詳細情報]