苫東郡(とまひがしぐん、とまひがしのこおり)は美作国にあった

歴史

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  • 貞観5年(863年)5月 - 苫田郡(第1次)が分割して苫東郡(第1次)・苫西郡(第1次)となる。郡衙の位置は不明。
  • 中世 - 苫西郡(第1次)が西西条郡西北条郡、苫東郡(第1次)が東北条郡東南条郡にそれぞれ分割。苫東郡(第1次)消滅。
  • 寛文元年(1661年) - 西西条郡が苫西郡(第2次)に、西北条郡が苫南郡に、東北条郡が苫北郡に、東南条郡が苫東郡(第2次)にそれぞれ改称。
  • 元禄11年(1698年) - 上記4郡の名称が旧に復する。苫東郡(第2次)消滅。
  • 明治33年(1900年4月1日 - 郡制の施行により、西西条郡・西北条郡・東北条郡・東南条郡の区域をもって苫田郡(第2次)が発足。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 33 岡山県、角川書店、1989年6月1日。ISBN 4040013301 

関連項目

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先代
苫田郡
行政区の変遷
863年 - ? (第1次)
次代
東北条郡東南条郡
先代
東南条郡
行政区の変遷
1661年 - 1699年 (第2次)
次代
東南条郡