苑裡鎮(ユエンリー/えんり-ちん)は、台湾苗栗県

苗栗県の旗 苗栗県 苑裡鎮
別称: -
山脚国民小学旧日本式宿舎群
地理
位置 北緯24°27'
東経120°38'
面積: 68.2473 km²
各種表記
繁体字: 苑裡
日本語読み: えんり
拼音: Yuánlǐ
通用拼音: Yuánlǐ
注音符号: ㄩㄢˋ ㄌㄧˇ
片仮名転写: ユエンリー
台湾語: Oán-lí
客家語: Yen-lî
行政
行政区分:
上位行政区画: 苗栗県の旗 苗栗県
下位行政区画: 25里360鄰
苑裡鎮長: 杜文卿
公式サイト: 苑裡鎮公所
情報
総人口: 47,780 人(2016年1月)
世帯数: 14,470 戸(2016年1月)
郵便番号: 358
市外局番: 037
苑裡鎮の木: -
苑裡鎮の花: -
苑裡鎮の鳥: -
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山脚蔡氏古厝済陽堂

地理 編集

苑裡鎮は苗栗県の西南に位置し、東は火炎山、西は台湾海峡に接している。地域は苑裡平原が大部分を示す平地となっており、東、北両側は苗栗丘陵に接している。

歴史 編集

文献資料によれば、苗栗県は明末清初に漢人による経済活動が既に行われていた。鄭成功統治時代には北路天興県に帰属していた記録があるが、当時は原住民が経済活動が主体であり、名目的な統治機構と考えられている。康熙年間(1662年 - 1722年)になると既に沿海地区は清朝の海禁令の制限下で福建省からの入植者による開発が進められていたが、雍正年間(1723年 - 1735年)になると台湾の広東籍入植者が朱一貴による反乱の鎮圧に功績があったことから広東籍の人々に対しても移住が開放され、以降広東籍の入植者が飛躍的に増大した。乾隆年間﹝1736年 - 1795年)になると大量の移民が大陸から流入し、客家人を中心に開発が積極的に進められた。その後日本統治時代を経て1950年の地方行政区改革により苑裡郷が設置され現在に至っている。

経済 編集

行政区 編集

山柑里、水坡里、西平里、房裡里、苑南里、海岸里、旧社里、山脚里、田心里、西勢里、苑北里、苑港里、福田里、上館里、玉田里、社苓里、苑坑里、南勢里、新復里、中正里、石鎮里、客庄里、苑東里、泰田里、蕉埔里

歴代鎮長 編集

氏名 任期

教育 編集

高級中学 編集

国民中学 編集

国民小学 編集

交通 編集

種別 路線名称 その他
鉄道 海岸線 苑裡駅
高速道路 フォルモサ高速道路 苑裡IC
省道 台1線
省道 台61線 西浜快速公路

観光 編集

 
苑裡イグサ文化館

関連項目 編集