紀元前512年(きげんぜんごひゃくじゅうにねん)は、西暦ローマ暦)による年。

世紀 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀
十年紀 前530年代 前520年代
前510年代
前500年代 前490年代
前515年 前514年 前513年
紀元前512年
前511年 前510年 前509年

紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元242年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前512年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法 編集

できごと 編集

ペルシア 編集

ギリシア 編集

スキタイ 編集

中国 編集

  • 孫武(『孫子』の著者)が、闔閭の下で、将軍、軍師となる。(おおよその年)
  • 呉が鍾呉子を捕らえ、ついでを攻め滅ぼした。は徐を救援しようとしたが間に合わず、徐子章羽の亡命を受け入れて、夷にとどまらせた。
  • 呉王闔閭が呉軍を3軍に分けて楚に遊撃戦を仕掛ける伍子胥の戦略を採用した。

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集

注釈

出典

関連項目 編集