白川忠富王
室町時代の日本の公卿。白川雅兼王の次男。正二位・非参議、神祇伯。白川伯王家17代。「忠富王記」
白川 忠富王(しらかわ ただとみおう、正長元年(1428年) - 永正7年2月1日(1510年3月10日))は、室町時代の日本の公卿。神祇伯になる前は白川忠富と称した。
時代 | 室町時代 |
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生誕 | 正長元年(1428年) |
死没 | 永正7年2月1日(1510年3月10日) |
官位 | 正二位、神祇伯 |
主君 | 後花園天皇→後土御門天皇→後柏原天皇 |
氏族 | 白川家 |
父母 | 父:白川雅兼王 |
子 | 養子:白川雅業王 |
生涯 編集
白川雅兼王の次男として誕生。
応仁元年(1467年)、従三位に昇叙し公卿入りを果たす。延徳2年(1490年)に資氏王の病気による辞任を受けて、神祇伯に任命され忠富王と称す。永正7年正月25日、病気のために養子・雅業に伯職を譲り、その5日後の2月1日に薨去した。享年83歳。
日記に『忠富王記』がある。