生駒高清

日本の江戸時代前期~中期の武士。出羽矢島藩主生駒高俊長男で、交代寄合(表向御礼衆)旗本生駒氏2代当主(出羽由利郡矢島1万石→8000石)

生駒 高清(いこま たかきよ)は、出羽国矢島2代領主。生駒高俊の長男。

 
生駒高清
時代 江戸時代初期-江戸時代中期
生誕 寛永20年(1643年
死没 元禄7年9月7日1694年10月25日
別名 友松、左近、右衛門(通称)、高規
戒名 宝照院玉浦宗琳大居士
墓所 龍源寺(秋田県由利本荘市)
臨済宗妙心寺塔頭玉龍院(京都府京都市)
海禅寺(東京都浅草)
主君 徳川家綱
旗本交代寄合
氏族 生駒氏(土田生駒家)
父母 父:生駒高俊、母:今氏
兄弟 高清、俊明、親興京極高房室、原田宗馭室、円意
養子:親興
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来歴 編集

万治元年(1658年)3月29日、父高俊とともに矢島にいたものの、罪を許されて、矢島から江戸に移ることになった。江戸の屋敷は御徒町にあった。同年9月21日、将軍徳川家綱に拝謁する。万治2年(1659年)12月26日、高俊の死去により家督を相続した。ただし、実弟の俊明に伊勢居地(現・秋田県にかほ市)2000石(伊勢居地家)を分け与えたため、知行は8000石となり、旗本になった。江戸詰の交代寄合表御礼衆に列した。江戸城中の詰所は柳間となった。元禄7年(1694年)9月7日死去、52歳。墓は浅草の海禅寺。以後、代々の江戸における墓地になった。正妻を迎えず、子女もいなかった。そのため、親興が養子となり家を継いだ。

参考文献 編集

外部リンク 編集