物部依網 抱(もののべのよさみ の いだき)は、飛鳥時代豪族冠位は不明。

出自

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物部依羅氏(物部依羅連)は饒速日命の十二世子孫の懐(布都久留)の後裔で[1]物部氏の一族である天孫氏族。氏の名称は摂津国住吉郡大羅郷(現在の大阪市東住吉区我孫子町・庭井町一帯)と隣接する河内国丹比郡依羅(現在の松原市天善町一帯)の地名に基づく[2]

記録

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推古天皇16年(608年)日本に渡来した使・裴世清が入京して朝廷に参上する際に、阿倍鳥とともに導者(案内役)とされ、隋よりの信物(くにつもの)を庭の上に置いた[3]

脚注

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  1. ^ 『新撰姓氏録』河内国神別,左京神別
  2. ^ 佐伯[1994: 479]
  3. ^ 『日本書紀』推古天皇16年8月12日条

参考文献

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