津金衆(つがねしゅう)は甲斐国巨摩郡津金を名字の地とする武士集団。清和源氏佐竹氏流。 代々甲斐国武田氏に仕え、その後は徳川家に仕える。

概要 編集

津金衆の起源 編集

武田信昌(1447年-1505年)の時代に、佐竹薩摩守胤義と子の佐竹美濃守胤秀甲斐において仕官。津金村と信州佐久郡を領有した為、津金衆と称すようになった。

長篠の戦い 編集

天正3年(1575年)の長篠の戦いにて、津金胤時が戦死。津金胤久が継ぐ。

天正壬午の乱 編集

天正10年(1582年)、甲州征伐により、武田家が滅亡。

織田信長本能寺で暗殺されると、甲州にて天正壬午の乱が起り、徳川家康方につく。詳細は天正壬午起請文参照。

関ヶ原の戦い 編集

慶長5年(1600年関ヶ原の戦いでは徳川秀忠の軍。

甲府藩時代 編集

甲府勤番参照。

津金衆の庶流 編集

小尾・比志・小池・箕輪・村山・八巻・清水・井出・鷹見沢・河上

脚注 編集


参考文献 編集

関連項目 編集