津田正行

日本の江戸時代後期の武士。加賀藩士津田近義の子で、同藩家老津田正直養子。津田玄蕃家11代当主

津田 正行(つだ まさゆき、文政2年(1819年) - 文久元年4月11日1861年5月20日[1]) は、加賀藩の家老、人持組津田玄蕃家第11代当主。

父は津田近義。養父は津田正直。正室は津田正直の娘。子に斯波淳六郎。養子に津田正邦(斯波蕃)。通称内蔵助。家紋は「片喰」。

生涯 編集

弘化2年(1845年)、本家の津田正直の死去により、婿養子となり家督と知行1万石を相続する。弘化4年(1847年)9月、孝明天皇即位式に藩主前田斉泰の名代として上洛して出席する。安政6年(1859年)、富山藩主となった前田利同がまだ幼く、藩政を監督するため本藩から家老が派遣されることとなり、富山詰めとなる。万延元年(1860年)、山崎庄兵衛と交代して帰藩する。

文久元年(1861年)、死去する。家督は9代津田正矩の子の正邦が養子となって相続した。

脚注 編集

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.718

参考文献 編集