梅津 喜八(うめづ きはち、1843年天保14年2月[1])- 1909年明治42年)2月26日[1][2])は、明治時代の政治家実業家貴族院多額納税者議員

経歴

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沿岸部との交易により一代で財を成した花巻の豪商[3]。大地主として小間物商、薬種商を営んだ[2]1879年(明治12年)岩手県会議員に当選[1]。ほか、花巻銀行取締役[2]稗貫郡花巻川口町会議員、同郡会議員などを歴任した[1]

1908年(明治41年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年10月2日[4]から務めたが、在任中に死去した[1][5]。小学校の教科書を出版するなど教育振興にも務めた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 183頁.
  2. ^ a b c 大植 1935, 1107頁.
  3. ^ a b 竹内ほか 1998, 82頁.
  4. ^ 『官報』第7583号、明治41年10月3日。
  5. ^ 『官報』第7700号、明治42年3月1日。

参考文献

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  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 竹内理三ほか 編纂『岩手県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典3、角川書店、1998年。ISBN 4040020308