林信雄 (政治家)
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林 信雄(はやし のぶお、1899年(明治32年)5月5日[1] – 1974年(昭和49年)12月1日[2])は、日本の衆議院議員(自由党)。福岡県小倉市長。弁護士。
林信雄 はやし のぶお | |
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生年月日 | 1899年5月5日 |
出生地 |
![]() (現・福岡県朝倉市) |
没年月日 | 1974年12月1日(75歳没) |
出身校 | 明治大学法科卒業 |
前職 | 弁護士 |
選挙区 |
(福岡県第4選挙区→) 旧福岡4区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1942年 - 1945年12月18日 1953年4月19日 - 1955年1月24日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1955年5月2日 - 1963年2月9日 |
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当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1931年 - ? |
経歴
編集福岡県朝倉郡朝倉村(現在の朝倉市)出身[3]。1920年(大正9年)、明治大学法科を卒業[3][4]。同年、弁護士試験を当時日本最年少で合格した[4]。1931年(昭和6年)、福岡県会議員に当選して、3期務めた[4]。
1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し、当選。1946年(昭和21年)、推薦議員のため公職追放を受ける[5]。追放解除後の1953年(昭和28年)、第26回衆議院議員総選挙で再選を果たした。
その後、1955年(昭和30年)、元助役と元代議士を破って小倉市長に当選した[4]。北九州市の設置に伴い、小倉市が廃止されるまで務める。
脚注
編集参考文献
編集- 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職 | ||
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先代 浜田良祐 |
1955年 - 1963年 |
次代 廃止 |