春道永蔵
春道 永蔵(はるみち の ながくら)は、平安時代前期の貴族。氏姓は川上造のち春道宿祢。官位は従五位下・内蔵助。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・内蔵助 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 川上造→春道宿祢 |
父母 | 川上吉備成 |
出自 編集
川上氏(川上造)は物部氏(物部連)の一族にあたる天孫系氏族。和泉国の鳥取河上宮に因む川上部の伴造氏族で、川上部を率いて製作した刀剣を石上神宮に奉納することを職掌としたと見られる。[1]
経歴 編集
父の吉備成らと共に、承和元年(834年)川上造から春道宿祢に改姓し、承和3年(836年)には本貫を河内国から右京七条二坊に改めた。なお、この本貫の変更は、承和遣唐使の随行員であった遣唐音声長・良枝清上、遣唐画師雅楽答笙師・良枝朝生と同時に行われており、永蔵が遣唐使の随行員(遣唐知乗船事)となった事に関係するか。承和5年(838年)遣唐使の随行員として入唐し、在唐中の承和6年(839年)2月には揚州で禁制品を購入したために州衙に出頭を求められたとの記録が残っている[2]。同年8月に日本へ帰国し、遣唐大使・藤原常嗣に従って第一集団として入京するように命じられている。
官歴 編集
『六国史』による。