少林寺 (各務原市)

岐阜県各務原市にある寺院

少林寺(しょうりんじ)は、岐阜県各務原市那加新加納町にある臨済宗妙心寺派の聖澤派(東陽派)の寺院。山号は龍慶山。美濃四国札所第二十八札所。美濃四観音の一つ。

少林寺しょうりんじ
所在地 岐阜県各務原市那加新加納町2104-1
位置 北緯35度23分52.2秒 東経136度49分16.9秒 / 北緯35.397833度 東経136.821361度 / 35.397833; 136.821361座標: 北緯35度23分52.2秒 東経136度49分16.9秒 / 北緯35.397833度 東経136.821361度 / 35.397833; 136.821361
山号 龍慶山
宗派 臨済宗妙心寺派 聖澤派(東陽派)
本尊 聖観世音菩薩
創建年 応長元年(1311年
中興年 明応8年(1499年)
中興 東陽英朝
札所等 美濃四国二十八番
法人番号 5200005002462 ウィキデータを編集
少林寺の位置(岐阜県内)
少林寺
少林寺
少林寺 (岐阜県)
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少林寺跡地の案内板(川島町)

沿革 編集

鎌倉時代応長元年(1311年)、尾張国葉栗郡小網島村(後の岐阜県羽島郡川島町、現在の各務原市川島小網町)に臨済宗南禅寺派の寺院として、夢窓疎石が開山した。

かなり大規模な伽藍であったと伝えられている。しかし、この地は尾張国と美濃国の国境付近で、しばしば境川(現木曽川の旧流)の氾濫に悩まされており、正中2年(1325年)には洪水により大きな被害を受けたという。

やがて幾度かの洪水の影響で荒廃したが、明応8年(1499年)、薄田祐貞が東陽英朝を招き、臨済宗妙心寺派(聖澤派・東陽派)の寺院として再興し、新加納(現在の各務原市那加新加納町)に移転した。

旧少林寺跡は、岐阜県消防学校の敷地、及びその北の木曽川河川敷にあたる。

永禄8年(1563年)、織田信長の美濃攻め(新加納の戦い)により焼失。

関ヶ原の戦い後、松倉城城主の坪内利定羽栗郡各務郡を治める大身旗本となると、新加納陣屋を築いた。この際、少林寺を坪内氏の菩提寺として再建した。

 
旗本坪内家墓所

文化財 編集

岐阜県指定重要文化財
  • 紙本墨書東陽英朝筆辞世偈[1]
岐阜県指定史跡
  • 東陽英朝禅師塔所[2]
各務原市指定文化財
  • 旗本坪内家墓所(史跡)[3]
  • 稲荷堂(建造物)[3]
  • 東陽英朝禅師頂相(絵画)[3]
  • 本国加州富樫庶流坪内家一統系図並由緒(典籍)[3]

交通アクセス 編集

脚注 編集

  1. ^ 紙本墨書東陽英朝筆辞世偈”. 岐阜県. 2013年5月13日閲覧。
  2. ^ 東陽英朝禅師塔所”. 岐阜県. 2013年5月9日閲覧。
  3. ^ a b c d 市指定文化財”. 各務原市 (2013年2月12日). 2013年5月9日閲覧。