小島 亮(こじま りょう、1956年11月19日 - )は、日本社会学者、歴史学者中部大学元教授。近代社会思想史・比較知識社会論専攻。ハンガリーと日本の国際関係についての著作も多い。2006年にハンガリー共和国から「自由の英雄」徽章(A Szabadság Hőse emlékérem)を授与された唯一の日本人である。

経歴 編集

奈良市生まれ。戸籍上は「小嶋」と表記。父は歴史家の小嶋太門、母は美術作家の小嶋十三子。小中学時代を大阪市東成区片江町(現大今里南)で過ごす[1]。75年桃山学院高校卒業。高校時代に『生駒新聞』紙上で「生駒市誌」論争と呼ばれる論争を提起し、山崎清吉や吉田伊佐夫らと知り合う。金鵄発祥の神話を地元の伝説に安逸に関係づけた『生駒市誌』を批判[2]。後年の整理では日本書紀にのみ記述される金鵄の「鵄」は「トビ」でなく当時の用法で「怪鳥」と理解するべきであり、古事記に記載がないのは大陸アジアの正統性神話を真似た対外宣伝用の創作が国内には説得性を持たなかったと把握[3]

1979年立命館大学文学部卒業。在学中は岩井忠熊のゼミに所属し、山尾幸久にも師事した。和田洋一の自宅のあった下鴨神社界隈に下宿していた縁もあって、私淑して毎週のように話を聴きに訪問したと回想している[4]。大学在学中から講座派マルクス主義への違和感を強め、同時に「現前する社会主義」を内在的に理解する決意を固め、東欧研究に専門を転じる[5]。日本におけるユーロコミュニズム的な改革構想の挫折も大きなインパクトを与えたと語っている[6]。 1981-83年、東京大学教養学部研究生(指導教官・西川正雄[7]。この時期に Social Democratic Movement in Prewar Japan, Yale University Press, 1966 の中国語訳(陶慕廉著;赵晨译;周纪荣校 战前日本的社会民主运动 友谊出版 1987)の人名監修を著者のジョージ・オークレー・トッテン三世から頼まれる。ジョージ・オークレー・トッテン三世ストックホルム大学アジア太平洋センター所長就任記念に予定された論文集(未刊行)に準備された英文ドラフト(The emergence of new left thought in potwar Japan)を日本語で書き直し、『ハンガリー事件と日本』として粕谷一希の仲介で中公新書の一冊に採用された[8]ミリアム・シルヴァーバーグの日本留学時代を知り、のちに追悼文を執筆している[9]福本和夫研究もヨーロッパと日本の社会思想の関連という観点から着手を始めている[10]。 1986年シカゴ大学歴史学部客員研究員。1987年より政府交換留学生としてハンガリー科学アカデミー社会学研究所に所属する。1988年からは国立コシュート・ラヨシュ大学(現デブレツェン大学)に博士候補生として在学し、セケレシュ・メリンダを指導教官とする[11]。博士論文 A modernség peremén : összehasonlító tanulmány a magyar és japán agrárradikalizmusról[12] を提出、1991年6月、国立コシュート・ラヨシュ大学から最優等(summa cum laude)にて人文学博士号を授与される。日本人への博士学位認定は同大学創立以来初めて[13]

1991-2年ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員、1992-3年ハンガリー科学アカデミー社会学研究所研究員を経て、1993-95年リトアニア共和国ヴィータウタス・マグヌス大学人文学部准教授。リトアニア史上初めてのアジア人大学教員である[14]。1996-7年サントリー文化財団鳥居フェロー、1997-9年角川書店『世界史辞典』編集部勤務などを経て、1999年中部大学国際関係学部助教授、のち教授。2010年から人文学部教授。2022-24年、中部大学特命教授。2024年3月末に退職。在職中に立命館大学文学部、金城学院大学文学部にて非常勤講師を歴任した。2004-2020年まで学術雑誌『アリーナ』編集長を務めた[15]デブレツェン大学やブダペストのカーロリ・ガシュパール・カルヴァン派大学でも招待教授として頻繁に講義をした。

著書 編集

  • ハンガリー事件と日本 1956年・思想史的考察』中公新書 1987 現代思潮新社 2003
  • Kodzsima Rió, Modernség peremén : összehasonlító tanulmány a magyar és japán agrárradikalizmusról,Kossuth Lajos Tudományegyetem Kiadó,1997
  • 『ハンガリー知識史の風景』風媒社 2000
  • Rio Kodžima,Straipsnial, paskaitos, interviu Lietuvoje,Strofa,2001
  • 『思想のマルチリンガリズム』小島亮コレクション 1 現代思潮新社 2004
  • 『白夜のキーロパー』小島亮コレクション 2 現代思潮新社 2004
  • 『中欧史エッセンツィア』中部大学ブックシリーズACTA 2007
  • Rio Kodžima.Tarpkultūrinių ryšių ir lyginamosios intelektinės istorijos takoskyra : straipsnių rinkinys,Vytauto Didžiojo universitetas,2019
  • 生駒新聞の時代-山﨑清吉と西本喜一-』吉田伊佐夫共著)風媒社 2021
  • 『青桐の秘密~歴史なき街にて-』小嶋太門,小嶋十三子と共著)風媒社 2021
  • 『星雨の時間帯~近代日本知識史論集~』風媒社 2022
  • 『モスクワ広場でコーヒーを 小島亮中東欧論集 2001-2022』風媒社 2022
  • 『ブダペストの映画館-都市の記憶・1989年前後-』(『ハンガリー知識史の風景』の増補版)風媒社 2023

編書 編集

エピソード 編集

東大研究生時代に後年、盧武鉉政権の副総理となる尹徳弘らと英文資本論研究会を行う[16]。この時期に目黒区上目黒夏樹静子の娘時代の旧家の一室を間借りしていた[17]。ハンガリー時代の親友はゲルゲイ・アティッラ[18]やチョバ・ユディット、さらにシュリ=ザカル・イシュトヴァーンに親しく師事した[19]ハーヴァード大学ではロバート・モアハウス、メリー・ホワイトと研究室をシェア、マサチューセッツ大学ポール・ホランダーとハンガリー語で語り合った経験を持つ[20]。リトアニア時代の友人にビルーテ・マールがいる[21]

1989年のハンガリー政治体制転換の画期的事件、6月16日のブダペスト英雄広場で開催されたナジ・イムレ再葬儀、汎ヨーロッパ・ピクニックの導火線となった6月19日のオットー・フォン・ハプスブルクコシュート・ラヨシュ大学講演[22]などの現場に居合わせた。ナジ・イムレの再葬儀ではまだ若手活動家だった時代のオルバーン・ヴィクトルの演説[23]を目前にして聴いた[24]チャウシェスク時代のトランシルヴァニアからルーマニアを度々旅行し、クルジュ=ナポカではアキム・ミフに、ブカレストではヘンリ・ストールに会ったことがある[25]ヘンリー・キッシンジャーのハンガリー国会演説にも列席した[26]ウプサラ大学でスウェーデン語を学んでいた1992年に無名時代のミカエル・ハフストロームのデモフィルムに役者出演、さらにレイキャヴィクのサマー・スクールに参加していた1994年、作家デビュー以前の映画批評家時代のアーナルデュル・インドリダソンと映画について語り合った[27]ヴィリニュスに住んでいた頃、傾倒するタルコフスキーの映画作品『惑星ソラリス』の主演男優ドナタス・バニオニスと会ったこともある[28]

ハンガリー時代については伊東信宏、アメリカ時代については木村俊一がそれぞれ著作に触れている[29]

人生最大の恩人として粕谷一希西川正雄に深謝を表し[30]、最高の教師としてセケレシュ・メリンダをあげている[31]

中部大学国際関係学部では畑中幸子川端香男里長島信弘高山智堀内勝などと同僚となり、さらに特任教授として在籍していた武者小路公秀加藤秀俊河合秀和らとも豊かな時間を過ごす。学術雑誌『アリーナ』(2004-2020)は「この学問と文化のアゴラを記録に留めたい」として、小島によって創刊され編集された[32]

文学作品や東欧映画の批評も書き、ハンガリー映画君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956の字幕監修を担当した[33]コソヴォ紛争をテーマにしたレンディタ・ゼチライの2019年カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭プレミア招待作品『アガの家』(Shpia e Agës 2019)にはプロデューサーとして名前を連ねている[34]

レンディタ・ゼチライの絵画作品集 Fytyrat e lyera sipër botës Lokal Kreativ 2010 の編集に関わり[35]ユルギータ・ゲリカイテの画集 Jurgita Gerlikaitė Namajūnienė 2009 の序文を執筆[36]した。

まだアイドル時代の薬師丸ひろ子を分析した先駆的エッセイや夭折した本田美奈子に捧げた本格的論考も執筆している[37]大今里南に住んでいた幼少期から、在日コリアンの多かった猪飼野を生活圏とし、朝鮮の文化にも共感を有していた。東欧の国際関係から北朝鮮の楽曲イムジン河を分析した論文も執筆している[38]。また加藤登紀子のカバーで日本でも知られる百万本のバラのロシア語版歌詞は「アフガン犠牲者の母親の哀歌」と受容されかねない危惧から「ピロスマニの愛の歌」に韜晦したと新見解を述べている[39]

エッセイにおいて旧体制のイコニックな場所として度々言及され、論集のタイトルにも採用されたモスクワ広場とはモスクワの赤の広場でなく,現在セール・カールマーン広場と改名されたブダペストの地名である。

東欧料理とワインを愛するも、和菓子が大嫌いで「和菓子を強要されたなら武器をもって戦う」と周囲にも公言している[40]

脚注 編集

  1. ^ 小島「歴史なき街にてー1968~9年、大阪東成の片隅で暮らした時代-」『青桐の秘密』所収 *なおこの注釈では書誌情報も掲載されているため、初出でなく再録された著作を出典として明示する
  2. ^ 小島、吉田伊佐夫共著『生駒新聞の時代』
  3. ^ https://www.library.pref.nara.jp/sites/default/files/0図録59.pdf。
  4. ^ 小島「過去への小さな旅」「灰色と紫色の自画像−和田洋一試論・序章」(『星雨の時間帯』所収)
  5. ^ 小島「夜明け前の日々」(『志賀の曙光-山尾幸久先生追悼文集』所収)
  6. ^ 加藤哲郎岩間優希・影浦順子・小島亮「エピローグとなった「序説」への研究序説-『スターリン問題研究序説』と70年代後期の思潮-」『アリーナ』13号 2013 『ハンガリー事件と日本 1956年思想史的考察』中公新書 1987 の「あとがき」
  7. ^ 小島は西川正雄への実質的な弔辞を書評形式で執筆している(「書評 西川正雄著『社会主義インターナショナルの群像1914-1923』」『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  8. ^ 小島「気ままな学問道楽人生がハンガリーと遭遇するまで」(『星雨の時間帯』所収)。ジョージ・オークレー・トッテン三世は1988年にブダペストまで小島を訪問し、ブダ城で撮影された写真が『星雨の時間帯』の口絵になっている
  9. ^ 小島「ミリアム・シルヴァーバーグの思い出」(『星雨の時間帯』所収)
  10. ^ 小島「福本和夫の思想的出発」(『星雨の時間帯』所収)、小島編『福本和夫の思想』こぶし書房
  11. ^ 小島「私の学生時代─先生のこころ学生知らず」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)。Csoba Judit(szerk.)Kopogtatás nélkül - Szociológiai tanulmányok Szekeres Melinda 70. születésnapjára, Dupress.2014
  12. ^ Kodzsima Rió, Modernség peremén : összehasonlító tanulmány a magyar és japán agrárradikalizmusról,Kossuth Lajos Tudományegyetem Kiadó,1997 として同大学 Szocioteka シリーズの一冊として出版される
  13. ^ 詳しい経歴は小島『モスクワ広場でコーヒーを』、『ブダペストの映画館』の略歴に記載されている
  14. ^ https://asc.vdu.lt/about-us/introduction//
  15. ^ 『アリーナ』の総目次は、https://www.chubu.ac.jp/about/chubu-library/publication/arena/backnumber/、さらに、http://fubaisha.com/search.cgi?mode=genre&genre=22
  16. ^ 小島「廣松哲学を再読しつつ」および「気ままな学問道楽人生がハンガリーと遭遇するまで」(『星雨の時間帯』所収)に駒場時代の回想が綴られている
  17. ^ 小島「薬師丸ひろ子試論」(『星雨の時間帯』所収)
  18. ^ Gergely Attila Kodzsima Rió Japán modernizáció-vitáról 中部大学国際関係学部『貿易風』3号 2008 では二人で日本近代化論争を語り合っている
  19. ^ 小島「In memoriam Süli-Zakar István」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  20. ^ 小島「「ソヴィエトの世紀」によせて─一九七〇年代から見直す─」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  21. ^ Rio Kodžima,Straipsnial, paskaitos, interviu Lietuvoje,Strofa,2001はビルーテ・マールによって編集されたと前書きに記載されている
  22. ^ https://habsburgottoalapitvany.hu/en/programok/it-all-began-here-debrecen-sopron-berlin/
  23. ^ https://www.google.com/search?q=nagy+imre+%C3%BAjratemet%C3%A9se+orb%C3%A1n+viktor+besz%C3%A9de&client=safari&sca_esv=a732dfa459a5577e&sca_upv=1&rls=en&biw=1324&bih=952&sxsrf=ADLYWIKNZiAN8OKEiiqSIuIIm6loLrIxHw%3A1717964889078&ei=WRBmZte4BP2Mvr0Pmr2BgAQ&oq=nagy+imre+%C3%BAjratemet%C3%A9se+viktor%C2%A0&gs_lp=Egxnd3Mtd2l6LXNlcnAiIW5hZ3kgaW1yZSDDumpyYXRlbWV0w6lzZSB2aWt0b3LCoCoCCAAyBhAAGAgYHjIIEAAYgAQYogRIhyxQ0QZYoR5wAXgAkAEAmAGeAaABqgmqAQMwLjm4AQHIAQD4AQGYAgmgAs0IwgIKEAAYsAMY1gQYR8ICBxAAGIAEGBPCAgYQABgTGB6YAwCIBgGQBgqSBwMxLjigB7QU&sclient=gws-wiz-serp#fpstate=ive&vld=cid:b7544c3f,vid:HFVgl5WgIOM,st:0/
  24. ^ 小島「ハンガリーとEUの現況」(『ブダペストの映画館』所収)
  25. ^ 小島「世界を震撼させて日々によせて」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  26. ^ 小島『中欧史エッセンツィア』の「はしがき」
  27. ^ <小島「世界を震撼させた日々によせて─前書きに替えて」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  28. ^ 小島「アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)」
  29. ^ 伊東信宏『バルトーク』中公新書 1997 木村俊一『数術師伝説』平凡社 1999
  30. ^ 小島「廣松哲学を再読しつつ ─前書きに替えて」(『星雨の時間帯』所収)、および「小さな星の時間」(『星雨の時間帯』所収)
  31. ^ 小島「私の学生時代ー先生のこころ学生知らず」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  32. ^ 小島「[巻頭言]アリーナ終刊にあたって」(『アリーナ』23号、2020 所収)
  33. ^ 小島「『君の涙 ドナウに流れ』映画字幕を監修して」『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  34. ^ https://www.allmovie.com/movie/agas-house-am215328/cast-crew
  35. ^ https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010825415 寄稿したエッセイのアルバニア語原文と英訳は Rio Kodžima.Tarpkultūrinių ryšių ir lyginamosios intelektinės istorijos takoskyra : straipsnių rinkinys,Vytauto Didžiojo universitetas,2019 に再録
  36. ^ https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010014970 序文の英訳はhttps://www.gerlikaite.com/blog/meditations
  37. ^ 小島「薬師丸ひろ子試論」、「ソウルシンガーとしての本田美奈子」(ともに『星雨の時間帯』に再録)
  38. ^ 小島「夭折のエストラーダ─北朝鮮歌謡「リムジンガン」再考」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  39. ^ 小島「エストラーダ─ソ連歌謡史に輝いた赤くない星」(『モスクワ広場でコーヒーを』所収)
  40. ^ 小島「五つの料理のレシピ」(小島、木村俊一共編『留学は人生のリセット』所収)

外部リンク 編集