宮本 博(みやもと ひろし、1963年3月27日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東所属の調教師である。2003年に調教師免許を取得した。

宮本博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県
生年月日 (1963-03-27) 1963年3月27日(61歳)
血液型 O型
所属団体 JRA
初免許年 2003年(2004年開業)
経歴
所属 栗東・中尾謙太郎/厩務員(1985.7 - 1985.10)→
栗東・中尾謙太郎/調教助手(1985.10 - 2003.2)→
栗東T.C.
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人物 編集

父が厩務員であったため、京都競馬場で生まれ、栗東トレーニングセンターで育つ。また、伯父の宮本悳タニノハローモア東京優駿(日本ダービー)を制した元騎手で、元調教師である。従弟に岸滋彦がいる。 父の勧めもあり15歳より馬術をはじめ、京都産業大学時代に馬場馬術で関西学生ナンバーワンとなる。全日本の学生選抜メンバーとして3年次にイギリス、4年次に韓国での対抗試合の経験もある。

競馬学校を卒業した1985年7月から、親戚である中尾謙太郎厩舎に厩務員として所属[1]。同年11月からは調教助手となる。持ち乗り調教助手として手掛けたおもな活躍馬に重賞3勝ナリタキングオーと重賞7勝キョウトシチーがいる。1998年にはキョウトシチーでドバイワールドカップに遠征(6着)。

2003年に調教師免許を取得後、翌2004年3月1日付けで開業[2]。初出走は同年3月13日中京競馬第4競走のクラウドシチーで12着であった。翌月、園田競馬でナリタボールド、ナリタチャンピオンが交流戦を勝利。JRA初勝利は同年5月9日、京都競馬第8競走のナリタボールドで、のべ21頭目であった[3]2008年小倉2歳ステークスデグラーティアで制してJRA重賞初勝利を挙げた[4]

2013年7月6日、函館7Rでケイティーズハートが1着となり、JRA通算200勝を達成した[5]

調教師成績 編集

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2004年3月13日 1回中京3日4R 3歳未勝利 クラウドシチー 16頭 11 12着
初勝利 2004年5月9日 3回京都6日8R 4歳上1000万下 ナリタボールド 16頭 13 1着
重賞初出走 2005年3月13日 2回中山6日11R クリスタルC エネルマオー 16頭 7 11着
重賞初勝利 2008年9月7日 3回小倉8日10R 小倉2歳S デグラーティア 16頭 3 1着
GI初出走 2007年12月9日 5回中山4日11R 朝日杯FS ミリオンウェーブ 16頭 16 14着

主な管理馬 編集

グレード制重賞優勝馬 編集

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

その他 編集

脚注 編集

  1. ^ 【競馬】歴史に埋もれた“幻のダート重賞” 勝ち馬キョウトシチーはドバイにも参戦”. デイリースポーツ. 2017年7月28日閲覧。
  2. ^ 調教師4名が新規開業”. netkeiba.com. 2017年7月28日閲覧。
  3. ^ 宮本博調教師、JRA初勝利”. netkeiba.com. 2017年7月28日閲覧。
  4. ^ デグラーティアが鋭く伸びて快勝”. netkeiba.com. 2017年7月28日閲覧。
  5. ^ 宮本博調教師 JRA通算200勝達成”. netkeiba.com. 2017年7月28日閲覧。
  6. ^ 京都新聞杯、ベストメンバーが人気に応え重賞初V”. netkeiba.com. 2017年7月28日閲覧。
  7. ^ ウインフルブルームがしぶとく逃げ切り重賞初V/京都金杯”. netkeiba.com. 2017年7月28日閲覧。
  8. ^ ボールライトニングが無傷の2連勝で重賞制覇!/京王杯2歳S”. netkeiba.com. 2017年7月28日閲覧。
  9. ^ キョウヘイが出遅れ最後方からの直線一気V!/シンザン記念”. netkeiba.com. 2017年7月28日閲覧。
  10. ^ フェーングロッテン|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年7月3日閲覧。
  11. ^ ロンドンプラン|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年9月4日閲覧。
  12. ^ ボルドグフーシュ”. JBISサーチ. 2023年1月20日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集