孝行球児
孝行球児(こうこうきゅうじ)は、ラフィーネプロモーションに所属する日本のお笑いコンビ。
メンバー |
得コータロー メイデン古茂田 |
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結成年 | 2016年 |
事務所 |
フリー →ラフィーネプロモーション |
活動時期 | 2010年 - |
出身 | ワタナベコメディスクール12期 |
出会い | ワタナベコメディスクール |
旧コンビ名 | 果汁 |
旧トリオ名 |
トリオ・DE・トリオ クライマックス |
旧グループ名 | 四国志 |
現在の活動状況 | ライブなど |
芸種 |
漫才、コント (野球ネタ) |
同期 |
ハナコ クマムシ エイトブリッジなど |
公式サイト | 公式プロフィール |
メンバー
編集来歴
編集得は高校1年まで本気でプロ野球選手を目指していたが、周りの才能に圧倒されて諦めた。高校を卒業してからは大学には進学せず、小さい頃から憧れていた芸人になろうと考えて東京にいた親戚を頼って上京する[1]。
古茂田は小学校の頃、ボキャブラブームに影響を受けて体育館に同級生を呼んでコントを披露するなどをしていた。中学を卒業間際には地元から大阪へ行って吉本興業に所属するつもりだったが、当時甲子園で活躍していた松坂大輔の人気に触発されて愛工大名電へ進学。甲子園にも3回行き、大学・社会人まで野球を続けていたがどうしても芸人になりたい思いを捨てきれず、勤めていた会社を退社して上京[1]。
2人ともワタナベコメディスクール在学中は別々のコンビで活動していたが、卒業してからは個人的に仲が良かったということもありそれぞれの相方であるキョン・林シンジと共にコンビが合流してカルテット『四国志』を結成[2]。1年ほどしてキョンが脱退し、『トリオ・DE・トリオ』にグループ名を改めた[3]。やがて林も脱退したため、2016年10月から正式にコンビとなる。一時期はもう1人を入れて『クライマックス』として活動していたこともある[4]。
先述の通り2人は野球経験者だったものの、コンビ結成から間もない頃は『果汁』という野球とは一切関係のないコンビ名を付けていた。事務所へ所属せずフリーで活動していたある日、サンミュージックプロダクションのオーディションを受けに行って古茂田の経歴を見た審査員から「甲子園に出たことを活かしたネタを作った方が良い」とアドバイスを貰う。それからは「分かる人には分かる」かなり入り組んだ野球ネタを披露してみると、思いの外手応えがあったため現在の芸風に定まった[1]。
現在のコンビ名はいくつかの候補の中から、古茂田の学生時代からの関係であったプロ野球選手たちに決めてもらった[1]。
2018年に開設された元プロ野球選手・高木豊のYouTubeチャンネルにアシスタントとして出演していたが、お笑い活動を優先するため、2019年7月頃よりアシスタントを降板している[5][注 1]。
芸風
編集主に野球をテーマにしたネタを行う[1]。舞台衣装は2人とも胸にコンビ名の刻まれたユニフォームを着用する機会が多いが、片方だけユニフォームというパターンもある[6]。
出演
編集テレビ
編集ラジオ
編集映画
編集- 青空エール ※古茂田のみ
その他
編集- 高木豊YouTubeチャンネル(2018年 - 2019年)アシスタント
脚注
編集注釈
編集- ^ 降板後も2021年3月にゲストとして動画に出演している。
出典
編集- ^ a b c d e “中西正男の「そら、この芸人さん、売れるにきまってる!」【12】 青春を賭けた野球にお笑いで恩返し!「孝行球児」”. 読みテレ|読んで楽しいテレビの話. 2022年2月19日閲覧。
- ^ “芸人名鑑”. kaleidoline.jp. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “芸人名鑑”. kaleidoline.jp. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “芸人名鑑”. kaleidoline.jp. 2022年2月22日閲覧。
- ^ 【山田哲人が盗塁失敗‼︎】日本記録の連続盗塁成功記録がストップ!山田哲人の走塁について語る! - YouTube
- ^ “孝行球児 | コンビ情報”. M-1グランプリ 公式サイト. 2022年2月22日閲覧。
- ^ “価格.com - 「有吉の壁 ~▼壁芸人が助っ人芸人招集学校でコラボネタ祭り▼ブレイク芸人空気謎キャラ~」2022年2月16日(水)放送内容 | テレビ紹介情報”. kakaku.com. 2022年2月22日閲覧。