多胡薬師塚古墳
日本の群馬県高崎市にある古墳
多胡薬師塚古墳(たごやくしづかこふん)は、群馬県高崎市吉井町吉井川にある古墳。形状は円墳。高崎市指定史跡に指定されている。
多胡薬師塚古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 吉井町1号墳 |
所在地 | 群馬県高崎市吉井町吉井川 |
位置 | 北緯36度14分43.17秒 東経138度59分15.75秒 / 北緯36.2453250度 東経138.9877083度座標: 北緯36度14分43.17秒 東経138度59分15.75秒 / 北緯36.2453250度 東経138.9877083度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径25m 高さ3.5m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
築造時期 | 7世紀後半 |
史跡 | 高崎市指定史跡「多胡薬師塚古墳」 |
地図 |
概要 編集
群馬県南部、鏑川南岸の上位段丘上に築造された古墳である。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、直径約25メートル・高さ約3.5メートルを測る[1]。墳丘表面では葺石が認められるが、埴輪は認められない[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。切石によって構築された整美な石室で、一部に切組積み手法が認められる[1]。石室内の副葬品は明らかでない。築造時期は古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定される[1]。周辺では和銅4年(711年)頃建碑の多胡碑(吉井町池、国の特別史跡)が知られ、石材・加工技術の共通性が注目される[3]。
遺跡歴 編集
埋葬施設 編集
埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[2]。
- 石室全長:4.94メートル
- 玄室:長さ2.1メートル、幅2.15メートル(奥壁)、高さ1.7メートル
- 羨道:長さ2.8メートル、幅1.1メートル、高さ1.3メートル
石室の石材は地元で産出する牛伏砂岩(多胡石)の切石で、多胡碑と共通する[1]。玄室は奥壁を一枚石とし、両側壁は大石の上に小さい石を載せる[3]。天井石は1石[3]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
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墳丘
文化財 編集
高崎市指定文化財 編集
脚注 編集
参考文献 編集
- 史跡説明板
- 「多胡薬師塚古墳」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107。
- 梅沢重昭「多胡薬師古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連項目 編集
外部リンク 編集
- 多胡薬師塚古墳 - 高崎市ホームページ