喜多村 久敬(きたむら ひさたか)は、江戸時代中期の弘前藩士。
宝暦2年(1752年)に手廻組頭、用人兼帯、馬廻組頭となり、宝暦11年(1761年)に家老となった。明和7年(1770年)、家老を退任した。理由は病気であるという。
翌明和8年(1771年)、病死した。嫡男の親守が家督を継ぎ、家督800石のうち100石を次男の鉄之助が継いだ。