吉野梅園
概要 編集
樹齢800年の臥龍梅(約50本)、大分県の県木・県花である豊後梅[1]、寒紅梅、青軸梅、白加賀など、計約450本の梅が植えられている、大分県内でも有数の規模の梅園である。
園内には、吉野天満社があり、また、府内藩第6代藩主松平近儔がこの地を訪れた際に詠んだ「よしの芳野かしこは桜ここは梅」の句碑や[2]、松尾芭蕉の「この梅に牛も初音と啼つべし」の句碑が建てられている[3]。
梅は毎年2月中旬から3月中旬に満開になり、開花期には吉野梅まつりが行われ、江戸時代から吉野地区に伝わる吉野棒術、臥龍梅音頭、臥龍梅太鼓等のさまざまな催しが行われる[4]。
臥龍梅 編集
この梅園にある臥龍梅には、次のような言い伝えがある。
1192年(建久3年)、藤原信近という者が禁裏守護の任から退きこの地に居を構えた。その子の近里は神仏を篤く信仰し、孝行者として知られていたが、ある日、薪をとりに山に行った時に誤って右脛の骨を折り、足が不自由になった。
ある晩、近里の夢に翁が現れ、太宰府天満宮に祈願すれば怪我は癒えるとのお告げがあった。そこで近里は太宰府に詣で17日間参籠した。すると、満願の夜に貴顕の士(菅原道真)が現れ、梅の枝を授けるので、これを自分と思って祈願すれば怪我は平癒すると告げた。
翌朝、目覚めると、近里のそばには一枝の梅の花が置かれていた。近里がこれを持ち帰り土に挿すと、梅の樹は青々と育ち、その成長につれて近里の怪我も平癒した。幹が曲がりくねり、地を這うように茂った梅の樹は、その姿が地に臥した龍のようであることから、臥龍梅と呼ばれるようになった[2][3]。
交通 編集
脚注 編集
- ^ 大分県の県花・県木について 大分県
- ^ a b 吉野臥龍梅、吉野天満社 大分市観光協会
- ^ a b 市報おおいた 平成7年8月15日号 No.1179 (PDF) 大分市
- ^ 「吉野梅まつり」を開催します 大分市
- ^ 吉野梅園 大分市観光協会
外部リンク 編集
座標: 北緯33度7分2.7秒 東経131度40分50.9秒 / 北緯33.117417度 東経131.680806度