南田美知雄
南田 美知雄(みなみだ みちお、1955年9月30日 - )は、熊本県出身の調教師、元騎手・元調教助手。
南田美知雄 | |
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ベゴニア賞パドック(2023年11月26日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県 |
生年月日 | 1955年9月30日(68歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
美浦・中野隆良(1978年2月 - 1982年1月) 美浦・フリー(1982年2月 - 1986年2月) 美浦・中野隆良(1986年3月 - 引退) |
初免許年 | 1978年3月4日 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 1990年2月18日 |
重賞勝利 | 2勝 |
通算勝利 | 1258戦107勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1994年(1995年開業) |
経歴 | |
所属 | 美浦トレーニングセンター |
経歴 編集
1974年に中山・中野隆良厩舎の騎手候補生になり、厩舎が美浦に移転した1978年2月に騎手試験に合格してデビュー。
3月4日の中山第9競走5歳以上600万下・テツノドーカン(13頭中4着)で初騎乗を果たし、同25日の小倉第7競走短距離特別・アイサダロイヤルで初勝利を挙げる。翌4月には同馬が小倉大賞典に出走するが、南田がこのレースで重賞初騎乗となり3着に入る。
1年目は7勝、2年目の1979年には初の2桁で自己最多の19勝、3年目の1980年には2年連続2桁の14勝をマーク。
1979年9月16日の函館で初の1日2勝を挙げると、1980年の春の小倉遠征では本格化前のキョウエイプロミスに2戦騎乗し、条件特別戦で勝利に導いている。
1981年から勝利数が1桁に止まり、1982年からは中野厩舎を離れてフリーになる。同年にはディスクールで東京優駿初騎乗を果たすが、1984年には過去最低の3勝に終わる。
1985年に5年ぶりの2桁となる10勝と盛り返し、1986年からは再び中野厩舎に所属。ホクトヘリオスの主戦騎手となり、函館3歳Sでデビュー8年目にして重賞初制覇を果たすと、京成杯3歳Sで2勝目を挙げてGIの朝日杯3歳Sでは1番人気に推されるもメリーナイスの2着に終わる。同年の13勝が最後の2桁となり、1988年11月26日の中京第2競走3歳未勝利・ロングエトナで通算100勝を達成。
1990年は2月3日の小倉第5競走4歳新馬・ポトマックピットで同年の1勝目を挙げると、翌4日の小倉第2競走4歳未勝利・ヤマショウプリンスで2日連続勝利をマーク。同17日の小倉第9競走くすのき賞でポトマックピットを新馬→特別と2連勝に導いたのが最後の勝利となり、最終騎乗日となった翌18日は小倉第2競走4歳未勝利・ウエスタンリニア、第4競走4歳新馬・キャステングガールで共に3着に入った。同年引退。
引退後は中野厩舎の調教助手(1990年 - 1993年)を経て、1994年に調教師試験に合格して1995年に開業。1年目は3月4日の中山第3競走4歳未勝利・リバティーターフ(16頭中8着)で初出走を果たし、4月22日の福島第3競走4歳未勝利・フジノバンナで初勝利を挙げる。
同年は4勝でスタートしたが、2年目の1996年から1999年まで4年連続2桁勝利をマークし、1996年に中山で行われた新潟3歳S・パルティード(12頭中7着)で重賞初出走を果たす。
1998年に最多の17勝をマークし、2002年には、北関東のトップ騎手の一人である内田利雄の騎乗で青森産馬・カッツミーがラジオたんぱ賞を制し、重賞初制覇。この年の13勝を最後に現在も年間の勝ち鞍が1桁で終わっているが、2003年には次男の雅昭が騎手デビュー。
2004年7月10日の福島第6競走3歳未勝利・メガスピリッツで通算100勝を達成するが、同馬はカッツミーの弟で雅昭の騎乗であった[1] [2]。
2008年には新潟ジャンプS・ユウタービスケットで6年ぶりの重賞制覇を決め、中山大障害でGI初出走を果たすも競走中止で予後不良となった。
その後は重賞に出走する管理馬を出せず、2014年には過去最低で騎手時代にも無かった0勝に終わる。2015年からはミルファーム生産馬の増加で勝利数も盛り返すようになり、2016年には新潟2歳Sでオーバースペックが2着と健闘する。
2024年5月18日、新潟1R障害オープンで管理するサペラヴィが1着となり、現役104人目となるJRA通算200勝を5909戦目で達成した[3]。
騎手成績 編集
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 107 | 104 | 105 | 942 | 1,258 | .085 | .168 |
主な騎乗馬 編集
※太字はGIレース。
- ホクトヘリオス(1986年函館3歳ステークス・京成杯3歳ステークス、朝日杯3歳ステークス2着)
- アイサダロイヤル(1978年小倉大賞典3着)
- その他
- キョウエイプロミス
調教師成績 編集
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1995年3月4日 | 2回中山3日3R | 4歳未勝利 | リバティーターフ | 16頭 | 8 | 8着 |
初勝利 | 1995年4月22日 | 1回福島1日3R | 4歳未勝利 | フジノバンナ | 14頭 | 4 | 1着 |
重賞初出走 | 1996年9月1日 | 4回中山8日11R | 新潟3歳S | パルティード | 12頭 | 9 | 7着 |
重賞初勝利 | 2002年6月30日 | 1回福島6日11R | ラジオたんぱ賞 | カッツミー | 15頭 | 8 | 1着 |
GI初出走 | 2008年12月27日 | 5回中山7日10R | 中山大障害 | ユウタービスケット | 16頭 | 14 | 中止 |
主な管理馬 編集
- カッツミー(2002年ラジオたんぱ賞)
- ユウタービスケット(2008年新潟ジャンプステークス)
- オーバースペック(2016年新潟2歳ステークス2着)
脚注 編集
- ^ 南田美知雄調教師がJRA通算100勝達成!
- ^ 南田美知雄調教師、JRA通算100勝達成
- '^ “南田調教師がJRA通算200勝達成 新潟1Rをサペラヴィで勝利”. UMATOKU | 馬トク - スポーツ報知 (2024-05-18JST11:34:00+0900). 2024年5月18日閲覧。