伊島村

日本の岡山県御津郡にあった村

伊島村(いしまそん)は、岡山県御津郡にあった1900年3月31日までは御野郡に属していた。

いしまそん
伊島村
廃止日 1921年3月1日
廃止理由 編入合併
石井村伊島村鹿田村御野村岡山市
現在の自治体 岡山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
御津郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 8,074
国勢調査、1920年)
隣接自治体 御野村、横井村、平津村、大野村、石井村、岡山市
伊島村役場
所在地 岡山県御津郡伊島村大字上伊福
地図
旧・伊島村役場庁舎位置[1]
座標 北緯34度40分22秒 東経133度54分50秒 / 北緯34.67264度 東経133.91392度 / 34.67264; 133.91392座標: 北緯34度40分22秒 東経133度54分50秒 / 北緯34.67264度 東経133.91392度 / 34.67264; 133.91392
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概要 編集

かつては津島村と万成村は津島郷に、上伊福村は伊福郷に属した。

村名は井戸のある島ということにちなんだ。万成に良質の水が湧き出る井戸があり、旅人がそれを飲みに立ち寄ったと伝えられる[2]

沿革 編集

  • 1875年明治8年) - 津島村のうち福井・市場・奥坂・西坂・新野が合併して津島村となる。上伊福村と上伊福村のうち別所が合併して上伊福村となる[3]
  • 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、御野郡第三部戸長役場を上伊福村に設置し、同村および津島村・万成村を管轄[3]
  • 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、第三部戸長役場管轄区域の3村が合併して村制施行し、伊島村が発足。旧村名を継承した3大字を編成し、役場を上伊福に設置[4]
  • 1899年(明治32年)8月1日 - 上伊福の一部(字三十二・字三十三・字三十四・字三十五・字蓮田・字三十一・字五反田・字三反田・字十六・字苗添・字七ノ坪・字八ノ坪)を岡山市に編入し、岡山市上伊福となる[5][6]
  • 1900年(明治33年)4月1日 - 津高郡と御野郡が合併し御津郡となる。
  • 1907年(明治40年) - 大日本帝国陸軍第17師団を津島に設置。
  • 1921年大正10年)3月1日 - 岡山市に編入。同日伊島村廃止。

合併後 編集

上伊福は岡山市上伊福に編入、津島・万成は岡山市の大字として継承されたが、1965年から1974年にかけて以下のように変更された[7]

上伊福は伊福町1〜4丁目・伊島北町・伊島町1〜3丁目・いずみ町・絵図町・京山1〜2丁目・国体町・清心町・谷万成1丁目・津倉町2丁目・奉還町1〜4丁目・三門東町となった。

津島は一部が津島京町1〜3丁目・津島桑の木町・津島笹が瀬・津島中1〜3丁目・津島新野1〜2丁目・津島西坂1〜3丁目・津島東1〜4丁目・津島福居1〜2丁目・津島本町・津島南1〜2丁目・伊島北町・伊島町2丁目・いずみ町・北方2丁目・法界院・理大町なった。

万成は万成西町・万成東町・伊島北町・伊島町3丁目・岩井2丁目・京山2丁目・谷万成1〜2丁目・津島京町1〜2丁目・矢坂東町となった。

行政 編集

歴代村長 編集

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
浅沼猪作 1889年(明治22年)7月17日 1890年(明治23年)4月9日
2-4 難波重直 1890年(明治23年)5月23日 1902年(明治35年)5月16日
5-9 中田千代治 1902年(明治35年)5月28日 1921年(大正10年)2月28日
参考文献 - 岡山県市町村合併誌 市町村編 5頁(岡山県、1960年)

教育 編集

当時の主要施設 編集

参考文献 編集

  • 『岡山市史 政治編』岡山市役所、1964年。

脚注 編集

  1. ^ 1/20000御野村 明治28年測図・明治31.3.30発行今昔マップ on the web
  2. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「伊島」
  3. ^ a b 岡山県市町村合併誌 総編(岡山県、1960年)
  4. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「伊島村(近代)」
  5. ^ 角川日本地名大辞典 岡山県「上伊福(近代)」
  6. ^ 岡山市史 第63950頁(明治文献、1975年)
  7. ^ 住居表示の実施状況(岡山市役所市民生活局市民生活部区政推進課)
  8. ^ 学校概要
  9. ^ 岡大キャンパスの戦跡めぐり(岡山大学職員組合)

関連項目 編集

外部リンク 編集