京浜兄弟社
京浜兄弟社(けいひんきょうだいしゃ)は、1980年代から1990年代にかけて活動していた、テクノ歌謡バンド「東京タワーズ」のファンクラブと、ファンクラブを母体に集まり発展した音楽家、映像作家、デザイナーなどクリエイターの集団。
概要 編集
京浜兄弟社とは1980年代初頭、渋谷にあったナイロン100%、CSV渋谷などの店に足繁く出入りしていた、テクノポップ、ニューウェイブ、プログレなどの音楽や、ミニシアター系の映画を愛好する人々が集まったグループである。その多くはミュージシャン、自主映画制作、漫画家など、クリエイターの卵たちであり、ライブ活動、自主制作レコード、映画制作、イベント企画、ミニコミ発行などの活動をしていた。
中心となるバンド「東京タワーズ」の周辺には、音楽、映画、文学のみならず多岐に渡ったクリエーターがいた。そもそもは常盤響が作った東京タワーズファンクラブの名前が「京浜兄弟社」であった。その後、東京タワーズを中心にファンも関係者も渾然一体となり、京浜兄弟社と称されるようになる。
1991年に法人化し、初代代表取締役に岸野雄一が就任した。1993年には高円寺に中古レコードショップ「マニュアル・オブ・エラーズ」を開店。モンドショップとして多くのマスコミに取り上げられた。店名の由来はスネークフィンガーの3枚目のアルバム「マニュアル・オブ・エラーズ」に由来する。
その後、山口優(EXPO)主宰の職業作曲家集団「アルトキスタジオ」にいた岡村みどり、蓮実重臣に、当時ムーンライダーズの事務所「RANCH」にいた松前公高が加わり、音楽制作会社「マニュアル・オブ・エラーズ・アーティスツ」へと発展した[1]。
レコード店はその後、マニュアル・オブ・エラーズ・アーティスツが経営する「マニュアル・オブ・エラーズ・ソノタ」が当初のモンド、ストレンジ、ラウンジ路線を継承し、高円寺に店舗を構える「ホームエラーレコード」はブラジルをはじめとする中南米音楽中心の品揃えとなっている。
京浜兄弟社自体は、録音物としてはアルバム1枚を残すのみであったが、2015年に京浜兄弟社周辺の1982年から1994年にかけての音源をまとめたCD10枚組ボックスセット『21世紀の京浜兄弟者』がリリースされた。京浜兄弟社についての詳細が、付録のファミリーツリーと主要メンバーによるインタビュー集にまとめられている。
京浜兄弟社の主要メンバー 編集
作品 編集
レコード/CD 編集
- 誓い空しく
- Drive To Heaven, Drive To Chaos(1989 WAVE/V.A.)
- ハレはれナイト(V.A.)
- 21世紀の京浜兄弟者
自主映画 編集
映画出演・協力 編集
- 何もかも百回も言われたこと(犬童一心監督)
- 神田川淫乱戦争(黒沢清監督)
- ドレミファ娘の血は騒ぐ(黒沢清監督)
ファッションショーライブ出演 編集
- ANKO(パフォーマー加藤真治と共演)
関連する人物・グループ・レーベル等 編集
※DrillSpinより[2]。
出典 編集
参考文献 編集
- 21世紀の京浜兄弟者 ディスクユニオン 2015
- ばるばら「NYLON100% 渋谷系ポップカルチャーの源流」アスペクト 2008