中村チヨ

日本のニヴフの語り部 (1906–1969)

中村 チヨ(なかむら ちよ、1906年 - 1969年)は、樺太沿海州の先住民族ニヴフ(ギリヤーク)の語り部。

なかむら チヨ

中村 チヨ
生誕 1906年明治39年)
大日本帝国 樺太
死没 1969年昭和44年)
北海道網走市
国籍 日本の旗 日本
民族 ニヴフ
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人物・略歴 編集

1906年(明治39年)、樺太生まれ。父が「山丹人」に比定されるツングース系民族ウリチ。母は、ツングース系には属さない、「女尊男卑」の民族と称されるニヴフ(ギリヤーク)である[注釈 1][注釈 2]

ニヴフのウシク・ウーヌ(wysk wonη)と結婚した。

第二次世界大戦終結後の1947年昭和22年)、北海道へ引き揚げた。後志管内岩内郡に2年住んだのち、オホーツク海に面した網走市に移住した。ルーマニア系アメリカ人の言語学者で、ヘルシンキ大学ウラル語アルタイ諸語東京大学ニヴフ語を学んだロバート・アウステリッツ英語版(1923-1994)は網走に出向いて中村チヨの口述を採録した。その成果は『ギリヤークの昔話』として公表されたが、きわめて貴重なものである。

関連書籍 編集

  • 中村チヨ:口述、村崎恭子:編、ロバート・アウステリッツ:採録・著『ギリヤークの昔話』北海道出版企画センター、1992年11月。ISBN 4832892061 

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 民族学者佐々木高明によれば、ニヴフの言語はウリチやウィルタ(オロッコ)などツングース系諸語とはまったく異なっており、むしろネイティブ・アメリカンの言語に似ているとさえいわれており、周囲からまったく孤立しているという[1]
  2. ^ 間宮林蔵の足跡を追って北方を探検した髙橋大輔によれば、ニヴフ社会は「女尊男卑」でたとえ女性がどのような過失を犯しても、その女性を殺すことは絶対に許されない[2]。とりわけ裁縫の上手な女性は大切にされた[2]イヌを大切にし、結婚相手が他民族であってもいやがらない[2]。また、男女ともに多情な気質で、結婚相手をめぐって刃傷沙汰におよぶこともあったという[2]

出典 編集

参考文献 編集

関連項目 編集