下大島町 (前橋市)
下大島町(しもおおしままち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2152[2]。2013年現在の面積は1.24km2[4]。
下大島町 | |
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北緯36度21分29秒 東経139度7分7秒 / 北緯36.35806度 東経139.11861度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 1.34 km2 |
人口 | |
• 合計 | 3,117人 |
• 密度 | 2,300人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
379-2152[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
地理 編集
前橋市の南部、広瀬川流域に位置しており、JR両毛線と駒形バイパス、広瀬川が平行して走っている。
河川 編集
隣接地区 編集
歴史 編集
江戸時代頃からある地名であり、前橋藩領だった。もとは上大島村と一村で「大島村」と称されたと考えられている。
年表 編集
- 1889年4月1日 - 町村制施行により、下大島村は駒形新田、天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、下長磯村、小屋原村、笂井村、上増田村、下増田村と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 1896年4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 1957年1月20日 - 勢多郡木瀬村、荒砥村が合併し城南村が成立する。
- 1967年5月1日 - 城南村が前橋市へ編入される。そのため前橋市下大島町となる。
- 1979年9月25日 - 町内のメッキ工場からシアン化合物を含む溶液約1000リットルが韮川へ流出。下流の利根川本流の水量が多かったため被害は無し[5]。
- 1980年 - 一部が山王町1-2丁目となる。
世帯数と人口 編集
2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
下大島町 | 1,333世帯 | 3,117人 |
小・中学校の学区 編集
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
一部 | 前橋市立山王小学校 | 前橋市立木瀬中学校 |
一部 | 前橋市立永明小学校 | |
一部 | 前橋市立駒形小学校 |
交通 編集
鉄道 編集
鉄道駅はない。
バス 編集
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道路 編集
国道は通っていない。県道は群馬県道2号前橋館林線駒形バイパスが通っている。
施設 編集
- 医療機関
- 上毛病院(精神科・神経科・心療内科・外科・内科・消化器科・小児科)
- 下大島医院(内科・呼吸器科)
- 村上皮フ科医院(皮膚科)
- 池医院
- 各種団体
- 群馬県学童保育連絡協議会
- 群馬県計量協会
- 群馬県トラック事業協同組合
- 寺院
- 来迎寺
出典 編集
- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 - 前橋市 2017年04月04日閲覧。
- ^ 作業ミス 上水源にシアン メッキ液1000リットルが流出『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月26日夕刊 3版 15面
- ^ “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2008年1月30日). 2023年5月23日閲覧。
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
参考文献 編集
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。