上毛野小熊

古墳時代の豪族。姓は君。武蔵国造の乱に関与。

上毛野 小熊(かみつけの の おくま、生没年不詳)は、古墳時代豪族。上毛野君小熊とも。

 
上毛野小熊
時代 古墳時代
生誕 不明
死没 不明
主君 安閑天皇
氏族 上毛野君
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概要 編集

笠原使主と同族の小杵武蔵国造の地位を争った際、小熊は小杵を援助したが小杵は誅殺され、大和朝廷の支持を得た使主が武蔵国造の地位についた[1]。その後、小熊がどうなったのかは不明であるが、緑野屯倉設置の記事と乱の懲罰との関係が指摘されている[2]

脚注 編集

  1. ^ 『日本書紀』安閑天皇元年閏12月条
  2. ^ 甘粕健「武蔵国造の乱」『古代の日本7 関東』角川書店、1970年。

関連項目 編集