ローマ=フラスカーティ線

ローマ=フラスカーティ線イタリア語: Ferrovia Roma-Frascati)は、イタリアの首都ローマ近郊の鉄道路線。ローマ中心部のローマ・テルミニ駅を起点とし、フラスカーティ駅(ローマ県フラスカーティ)に至る。トレニタリアによって運行されており、ラツィオ地方鉄道網 (FL linesFL4 (it:FL4(旧称FR4)の一部を構成する。

ローマ=フラスカーティ線
基本情報
イタリアの旗 イタリア
起点 ローマ・テルミニ駅
終点 フラスカーティ
開業 1856年
所有者 RFI
運営者 トレニタリア
路線諸元
路線距離 24 km
軌間 1,435 mm
電化方式 直流3000V
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この路線は、教皇国家最初の鉄道として敷設され1856年に開業した、イタリアで最も古い鉄道路線の一つである。開業当時は、ポルタ・マッジョーレ駅からフラスカーティ=カンピテッリ駅までの路線で、全長は20kmであった。

歴史 編集

1848年11月25日政府の委員会とピオ・ラティーナ社との間でローマとフラスカーティの鉄道建設についての許可の署名が行われた。教皇国家の事件(ローマ共和国 (19世紀))が原因で作業は何度も中断と再開を繰り返した。

8年かけて鉄道は敷設され、ローマにポルタ・マッジョーレ駅、フラスカーティの中心から3kmの所にカンピテッリ駅、さらにひとつのトンネルが設けられた。これら全ての建設作業は作業者と管理者180人が従事するJohn Oliver York が持つ企業York &C.により行われた。

ローマ・フラスカーティ鉄道は1856年7月14日に営業が開始され、所要時間は28分で1日に朝3本、昼に2本の運行が許可された。

1874年、路線はローマ・テルミニ駅に接続され、古いポルタ・マッジョーレ駅は取り壊された。1881年に始まった市内中心にあるカンピテッリ駅までの延長作業は、1884年2月2日に新しいフラスカーティ駅の開業となり、新しい区間に残っていた古い駅の線路も破棄された。

1943年のフラスカーティ空襲で鉄道駅とレールは破壊された。トンネルはドイツ国防軍により、連合国アンツィオへの上陸を迎撃する巨大列車砲(280mm)を隠すために使われた。

1945年にはローマ=フラスカーティ線の鉄道の運行は通常機能に回復した。チャンピーノとフラスカーティの間にあった2つの駅ガッレリーア・ディ・チャンピーノ(チャンピーノトンネルの意)とヴァッレ・ヴェルミリアは現在は使われていない。

沿線、駅と停車場 編集

  0 ローマ・テルミニ
  Innesto alla rete fondamentale
    チヴィタヴェッキア / レオナルド・エクスプレス(フィウミチーノ空港)への内部接続
  4.25 ローマ・カジリーナ 通過のみ
    ラティーナ /   ネットゥーノへの内部接続
 
  9.98 カパンネッレ ローマ市内区間の境界
  グランデ・ラッコルド・アヌラーレ
  13.92 チャンピーノ 複線区間はここまで
    ヴェッレトリ /   アルバーノ・ラツィアーレ /   カッシーノ - ナポリへの分岐
  チャンピーノ・トンネル
  23.58 フラスカーティ

関連項目 編集


外部リンク 編集