マーカス・D・キャンビーMarcus D. Camby, 1974年3月22日 - )はアメリカ合衆国コネチカット州ハートフォード出身の元プロバスケットボール選手。コネチカット州ハートフォード出身。ポジションはセンター

マーカス・キャンビー
Marcus Camby
ロサンゼルス・クリッパーズでのキャンビー
(2009年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1974-03-22) 1974年3月22日(50歳)
出身地 コネチカット州の旗 コネチカット州ハートフォード
身長 211cm (6 ft 11 in)
体重 109kg (240 lb)
キャリア情報
高校 コナード高等学校
ハートフォード・パブリック高等学校
大学 UMass
NBAドラフト 1996年 / 1巡目 / 全体2位[1]
プロ選手期間 1996年–2013年
ポジション C
背番号歴 23, 21, 29
経歴
19961998トロント・ラプターズ
19982002ニューヨーク・ニックス
20022008デンバー・ナゲッツ
20082010ロサンゼルス・クリッパーズ
20102012ポートランド・トレイルブレイザーズ
2012ヒューストン・ロケッツ
2012–2013ニューヨーク・ニックス
受賞歴
NBA通算成績
得点 9,262 (9.5 ppg)
リバウンド 9,513 (9.8 rpg)
ブロック 2,331 (2.4 bpg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴 編集

地元の高校を卒業後、マサチューセッツ大学に進学。3年生の時に平均得点20.5、平均リバウンド8.2を記録し、ネイスミス賞やウッデン賞を受賞した。

大学3年を終えた時点でアーリーエントリーを宣言。史上最高のドラフト年とも言われる1996年のNBAドラフト(他選手にはアレン・アイバーソンコービー・ブライアントなど)で、トロント・ラプターズから全体で2位の指名を受けNBA入り。ルーキーシーズンに14.8得点6.3リバウンド2.6ブロックの好成績を残し、オールルーキー1STチームに選出された。

2シーズンラプターズでプレーした後に、ニューヨーク・ニックスにトレードされる。ニックスは8位でプレイオフに出場するが、パトリック・ユーイングアラン・ヒューストンラリー・ジョンソンラトレル・スプリーウェルの活躍でNBAファイナルまで進出する。ファイナル前に中心選手のユーイングが怪我をしてしまい、インサイドをキャンビーに頼る苦しい状況になる。キャンビーはガッツ溢れるプレーで奮闘するものの、サンアントニオ・スパーズツインタワーと呼ばれてインサイドが強く敗退してしまう。最初の2シーズンはベンチ出場だったが、3年目の00-01シーズンにスターターに昇格。12.0得点11.5リバウンドの成績を残す。

しかし翌シーズンは怪我の影響でシーズンの大半を欠場。シーズン終了後にデンバー・ナゲッツに移籍。ところがここでもまた怪我でシーズンの大半を欠場する。

コンディションを整えて望んだ03-04シーズン、ナゲッツは96年ドラフトに引けを取らないタレントの揃う03年ドラフト生の中から、大学時代全米優勝を果たした新進スターのカーメロ・アンソニーを獲得。チームは久々のプレーオフに進出する。

オフに突入したナゲッツはフロントコートの補強にニュージャージー・ネッツのスターケニオン・マーティンを獲得。キャンビーとのインサイドコンビに期待がかかった。05-06シーズン序盤苦戦を強いられたものの、ヘッドコーチの交代によりプレーオフに滑り込む。

06-07シーズンは、これまで怪我による欠場が多かったキャンビーはシーズンで70試合とまずまずの試合数をこなした。一試合平均3.3ブロックはリーグ1位、11.7リバウンドはリーグ5位でキャリア初の最優秀守備選手賞を獲得、オールディフェンシブ1stチームにも選出された。

翌07-08シーズン、キャンビーは一試合平均3.6で、3年連続4度目のブロック王となった。最優秀守備選手賞の投票では2位となったが、オールディフェンシブ1stチームには再び選出。リーグを代表するディフェンスプレーヤーとなった。

2008年オフ、キャンビーは膨らみすぎたナゲッツのサラリーの清算という理由で、ほぼ無償でロサンゼルス・クリッパーズへ移籍することとなった[1]

契約最終年の2010年途中、本人はロサンゼルス・クリッパーズに残ることを望んでいたが、グレッグ・オデンジョエル・プリジビラが怪我で今季絶望に追い込まれ、インサイドの補強を強く希望していたポートランド・トレイルブレイザーズスティーブ・ブレイクトラビス・アウトローとの交換でキャンビーは移籍することとなった[2]

2012年3月15日、トレードでヒューストン・ロケッツへ加入。

2012年7月11日、トレードで古巣のニューヨーク・ニックスへ移籍した。ロケッツはトニー・ダグラスジョシュ・ハレルソンジェローム・ジョーダンの3選手と2つのドラフト2巡目指名権を得た。2012-13シーズン、怪我で殆ど出場出来ず[3]、プレーオフ1回戦のボストン・セルティックス戦の第6戦に出場したのが結果的に現役最後の試合となった[4]

プレースタイル 編集

オフェンスよりもディフェンスで活躍するタイプのプレーヤーで、特にリバウンドブロックを量産した。

成績 編集

NBA 編集

レギュラーシーズン 編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1996–97 TOR 63 38 30.1 .482 .143 .693 6.3 1.5 1.0 2.1 14.8
1997–98 63 58 31.8 .412 .000 .611 7.4 1.8 1.1 3.7* 12.1
1998–99 NYK 46 0 20.5 .521 .000 .553 5.5 .3 .6 1.6 7.2
1999–00 59 11 26.2 .480 .500 .670 7.8 .8 .7 2.0 10.2
2000–01 63 63 33.8 .524 .125 .667 11.5 .8 1.0 2.2 12.0
2001–02 29 29 34.7 .448 .000 .626 11.1 1.1 1.2 1.7 11.1
2002–03 DEN 29 9 21.2 .410 .400 .660 7.2 1.6 .7 1.4 7.6
2003–04 72 72 30.0 .477 .000 .721 10.1 1.8 1.2 2.6 8.6
2004–05 66 66 30.5 .465 .000 .723 10.0 2.3 .9 3.0 10.3
2005–06 56 54 33.2 .465 .091 .712 11.9 2.1 1.4 3.3* 12.8
2006–07 70 70 33.8 .473 .000 .729 11.7 3.2 1.2 3.3* 11.2
2007–08 79 79 34.9 .450 .300 .708 13.1 3.3 1.1 3.6* 9.1
2008–09 LAC 62 55 31.0 .512 .250 .725 11.1 2.0 .8 2.1 10.3
2009–10 51 51 31.3 .466 .333 .659 12.1 3.0 1.4 1.9 7.7
2009–10 POR 23 23 31.2 .497 .000 .581 11.1 1.5 1.1 2.0 7.0
2010–11 59 51 26.1 .398 .000 .614 10.3 2.1 .7 1.6 4.7
2011–12 40 40 22.4 .416 .000 .474 8.8 1.9 .8 1.4 3.8
2011–12 HOU 19 13 24.1 .484 .400 .423 9.3 1.7 .9 1.5 7.1
2012–13 NYK 24 4 10.4 .321 .000 .421 3.3 .6 .3 .6 1.8
Career 973 786 29.5 .466 .205 .670 9.8 1.9 1.0 2.4 9.5

その他 編集

  • 1997年マリファナ所持により逮捕され[5]、16時間の奉仕活動を課せられた。
  • 2001年のプレイオフ期間中、実家に強盗が押し入り、キャンビーの母親と二人の妹が監禁され、妹は暴行を受けた。犯人はキャンビーと話をすることを要求し、キャンビーは実家に赴いたものの会話をするには至らなかった。犯人は事件発生から9時間後に逮捕された[6]
  • キャンビーは右肩から右腕にかけて漢字で大きく「勉族」とタトゥーを入れている[7]。「勉」は勤勉、「族」は家族を意味するとのことである。

脚注 編集

  1. ^ Clippers Acquire Marcus Camby”. nba.com (2008年7月15日). 2012年3月20日閲覧。
  2. ^ Clippers get two players for Camby”. ESPN (2010年2月17日). 2012年3月20日閲覧。
  3. ^ Marcus Camby reinjures left foot” (英語). ESPN (2013年1月11日). 2024年5月20日閲覧。
  4. ^ Marcus Camby 2012-13 Stats”. ESPN. 2024年5月20日閲覧。
  5. ^ NBA Player Arrested On Drug Charge”. click2houston.com (2011年10月10日). 2012年3月20日閲覧。
  6. ^ Mother and Sisters of Knicks Star Held Hostage for Hours”. ニューヨーク・タイムズ (2001年4月24日). 2012年3月20日閲覧。
  7. ^ NBA Body Art Tale of My (Chinese) Tattoo”. スポーツ・イラストレイテッド (2006年3月6日). 2012年3月20日閲覧。

外部リンク 編集