フランク・ラゴルスFranck Lagorce1968年9月1日 - )は、フランスの元レーシングドライバー。1992年のフランスF3選手権チャンピオン。

フランク・ラゴルス
2016年撮影
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ライ=レ=ローズ
生年月日 (1968-09-01) 1968年9月1日(55歳)
F1での経歴
活動時期 1994年
所属チーム '94 リジェ
出走回数 2
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1994年日本GP
最終戦 1994年オーストラリアGP
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経歴 編集

カート 編集

レーシングカートでキャリアをスタートし、1981年のフランスカート選手権チャンピオンを獲得する。

四輪デビュー 編集

1988年、19歳でフォーミュラ・フォードに乗り、ミッション付きの四輪にステップアップする。エリック・エラリークリストフ・ブシュージャン=クリストフ・ブイヨンはFF1600からの同期だった。初年度にランキング5位になり、1989年に同4位へ上昇。1990年からはフランス・フォーミュラ・ルノーに参戦し、1勝を挙げランキング2位を獲得。なお、チャンピオン争いで戦ったのはエマニュエル・コラールだった。

フォーミュラ3 編集

1991年より、ブイヨンと共にフランス・フォーミュラ3選手権へとカテゴリーを上げる。ここでオリビエ・パニス、ブシュー、エリック・チェリと戦い、1勝を挙げランキング4位を獲得。1992年にエマニュエル・クレリコ、ブイヨンとタイトル争いをし、シーズン3勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得する。同年はソノートチームよりポルシェ・カレラカップにも参戦した。

フォーミュラ3000 編集

F3タイトル獲得により、元F1ドライバーのルネ・アルヌーらが首脳を務めるF3000での強豪DAMSにオリビエ・パニスのパートナーとして招かれ、1993年シーズンより国際F3000にステップアップ。中盤パニスが3連勝しタイトル争いをリードすると、ラゴルスも終盤にF3000初優勝を含む2連勝でライバルであるペドロ・ラミーデビッド・クルサードジル・ド・フェランに高ポイント獲得を許さずDAMSのタイトル争いに貢献。パニスのシリーズチャンピオン獲得をサポートするとともに、自身もランキング4位に入った。この結果パニスはF1リジェのシートを獲得し、ラゴルスも同じくリジェでテスト走行の機会が与えられた。

1994年、自らの国際F3000タイトル獲得を目指し、アポマトクスへと移籍。F3時代からのライバルであるクレリコとコンビを組んだ。ラゴルスの後任としてDAMS入りしたジャン=クリストフ・ブイヨンとシーズンを通してタイトル争いをし、ラゴルスは第5戦までに2勝し全戦ポイントを獲得していたが、ブイヨンが終盤3戦連続の優勝で逆転しチャンピオンを獲得。ラゴルスは2ポイント及ばずランキング2位となった[1]

フォーミュラ1 編集

F3000でタイトル争いをしていた1994年9月、リジェの所有者となっていたフラビオ・ブリアトーレトム・ウォーキンショーを中心に、チェーザレ・フィオリオをリジェのチーム監督として招聘するなどチーム内部が揺れ動いていたが、これらはリジェのルノーV10エンジン使用権をベネトンへと移行させるためのものだった[2]。その一環としてリジェのドライバー人事も流動的になり、開幕から9月末までリジェの25号車をドライブしていたのはエリック・ベルナールだったが、ベネトンがチーム・ロータスのエースジョニー・ハーバートの獲得を画策し、前段階として極度の資金難となっていたロータスからブリアトーレがハーバートの契約を買い取り、代わりにベルナールをロータスへと放出。ハーバートは第14戦ヨーロッパGPの1戦のみリジェの25号車で走り、ベネトンへと加入した[3]。空席となったリジェの25号車にはテストドライバーとしてリジェと契約していたラゴルスが第15戦日本GPから乗ることになり、第16戦(最終戦)オーストラリアGPまでの2戦、F1グランプリに参戦。台風により豪雨となった日本GPでは、他の多くのマシンと同じく11周目に雨に足を取られスピンを喫しリタイアとなったが、予選では同じマシンに乗るパニスの19位に続き、直後の20位タイムを出していた。オーストラリアでは予選20位グリッドから2時間近いレースを走り抜き、11位で完走した[1]

1995年までリジェのテストドライバーを務め、1996年からはイタリアフォルティでテストドライバーを務めた。

スポーツカーレース 編集

1997年からはスポーツカー・レースを主戦場とした。ル・マン24時間レースでは1996年に総合2位を獲得し、2003年まで10回の参戦歴を持つ。

レース戦績 編集

フランス・フォーミュラ3選手権 編集

エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1991年 プロマテクメ ダラーラ F391 オペル NOG
8
LED
10
MAG
6
PAU
9
DIJ
1
CHA
4
ROU
Ret
MAG
1
ALB
14
BUG
3
CET
3
ARN
3
4位 81
1992年 ダラーラ F392 LED
1
NOG
4
MAG
14
DIJ
1
PAU
3
ROU
Ret
MAG
1
LEC
8
ALB
2
BUG
4
CET
3
1位 100

マカオグランプリF3 編集

チーム シャーシ/エンジン 予選 レース1 レース2 総合順位
1991年   Formula Project Equipe レイナード 913 アルファロメオ 30位 DNS 22位 NC

国際F3000選手権 編集

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1993年 DAMS レイナード・93D コスワース DFV DON
8
SIL
4
PAU
7
PER
11
HOC
DNS
NÜR
11
SPA
10
MAG
1
NOG
1
4位 21
1994年 アポマトクス レイナード・94D SIL
1
PAU
5
CAT
5
PER
2
HOC
1
SPA
13
EST
8
MAG
2
2位 34

F1 編集

(key)

エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1994年 リジェ JS39B ルノー BRA PAC SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR JPN
Ret
AUS
11
NC 0

ル・マン24時間レース 編集

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1994年   クラージュ・コンペティション   アンリ・ペスカロロ
  アラン・フェルテ
クラージュ・C32LM-ポルシェ LMP1
C90
142 DNF DNF
1995年   アンリ・ペスカロロ
  エリック・ベルナール
クラージュ・C41-シボレー WSC 26 DNF DNF
1996年   ラ・フィリエ エルフ   アンリ・ペスカロロ
  エマニュエル・コラール
クラージュ・C36-ポルシェ LMP1 327 7位 2位
1997年   DAMS   ジャン=クリストフ・ブイヨン
  エリック・ベルナール
パノス・エスペランテ GTR-1 GT1 149 DNF DNF
1998年   NISMO
  TWR
  ジョン・ニールセン
  ミハエル・クルム
日産・R390 GT1 GT1 342 5位 5位
1999年   AMG-メルセデス   ベルント・シュナイダー
  ペドロ・ラミー
メルセデス・ベンツ・CLR LMGTP 76 DNF DNF
2000年   チーム・キャデラック   アンディ・ウォレス
  ブッチ・ライツィンガー
キャデラック・ノーススター・LMP LMP900 291 21位 11位
2001年   パノス・モータースポーツ   デビッド・ブラバム
  ヤン・マグヌッセン
パノス・LMP07 LMP900 85 DNF DNF
2002年   ペスカロロ・スポール   セバスチャン・ボーデ
  ジャン=クリストフ・ブイヨン
クラージュ・C60-プジョー LMP900 343 10位 9位
2003年   ステファン・サラザン
  ジャン=クリストフ・ブイヨン
LMP900 356 8位 6位

脚注 編集

  1. ^ a b フランク・ラゴルス”. racinghistory-jp.com. 2012年3月10日閲覧。
  2. ^ チェックアップ・ザ・ポテンシャル LIGIER 全てを失う前兆か 暗礁に乗り上げた94年 F1グランプリ特集 vol.057 45頁 1994年3月16日発行
  3. ^ LIGIER 新体制で確実な戦力向上 F1グランプリ特集 vol.064 52頁 ソニーマガジンズ 1994年10月16日発行

外部リンク 編集

タイトル
先代
クリストフ・ブシュー
フランスF3選手権 チャンピオン
1992
次代
ディデェー・コッタズ