パヴェル・コーガン
パヴェル・レオニドヴィチ・コーガン(ロシア語: Па́вел Леони́дович Ко́ган, ラテン文字転写:Pavel Leonidovich Kogan, 1952年6月6日 - )[1]は、ソビエト連邦・ロシアの指揮者。
パヴェル・レオニドヴィチ・コーガン | |
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基本情報 | |
生誕 | 1952年6月6日 |
出身地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト・指揮者 |
担当楽器 | ヴァイオリン |
略歴 編集
モスクワにレオニード・コーガンとエリザヴェータ・ギレリス(エミール・ギレリスの妹)の息子として生まれた。当初はモスクワ音楽院でユーリ・ヤンケレヴィチの下でヴァイオリンを学び、1970年のシベリウス国際ヴァイオリン・コンクールでリアナ・イサカゼと1位を分け合った。一方で、イリヤ・ムーシンとレオ・ギンズブルクに指揮法を学び、1972年にソヴィエト国立交響楽団で指揮者デビューを果たした。以後、エフゲニー・ムラヴィンスキーやエフゲニー・スヴェトラーノフらの招きに応じてソ連国内の主要オーケストラに客演を重ねた。1988年から1990年までザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を歴任し、1989年からモスクワ国立交響楽団の首席指揮者に就任している。1998年から2005年までユタ交響楽団の首席客演指揮者を兼任した。
2022年、モスクワ国立交響楽団の首席指揮者職を辞任した。辞任報道は同年4月25日になされたが、ロシアのウクライナ侵攻が開始された2月24日以降の演奏会をキャンセルしていたと伝えられている[2]。