ドン・ロジャース (ディフェンスバック)
ドン・ロジャース(Don Rogers 1962年9月17日-1986年6月27日)はアーカンソー州テクサーカナ出身の元アメリカンフットボール選手。NFLのクリーブランド・ブラウンズで2シーズンプレーした。弟のレジー・ロジャースも元NFL選手である。
Don Rogers | |||||
---|---|---|---|---|---|
基本情報 | |||||
ポジション | ディフェンスバック | ||||
生年月日 | 1962年9月17日 | ||||
没年月日 | 1986年6月27日(23歳没) | ||||
出身地 |
アメリカ合衆国 アーカンソー州テクサーカナ | ||||
身長: | 6' 1" =約185.4cm | ||||
体重: | 206 lb =約93.4kg | ||||
経歴 | |||||
大学 | UCLA | ||||
NFLドラフト | 1984年 / 1巡目全体18位 | ||||
初出場年 | 1984年 | ||||
初出場チーム | クリーブランド・ブラウンズ | ||||
所属歴 | |||||
| |||||
受賞歴・記録 | |||||
その他受賞・記録 | |||||
ローズボウルMVP(1983年) | |||||
NFL 通算成績 | |||||
| |||||
Player stats at PFR |
UCLA在学中は1983年のローズボウルでトム・ラムジーと共にMVPに選ばれた。また1984年のローズボウルではイリノイ大学のQBジャック・トルドーからローズボウル記録タイとなる2インターセプトをマークしている。1984年のNFLドラフトでクリーブランド・ブラウンズに1巡目全体18位で指名されて入団した。1984年,1985年と2年間プレーした。
1986年母親の自宅で彼は焼け付くような痛みを感じてベッドから飛び起きたが数時間後に亡くなった。NBAドラフトで指名されたレン・バイアスがコカインの濫用で亡くなったわずか8日後のことであった[1]。彼らの死を受けて薬物とスポーツ選手の関係が議論されるようになった。
脚注 編集
参考文献 編集
- Harvey, Sean D.. One Moment Changes Everything: The All-America Tragedy of Don Rogers He left behind a son Don jr. Sports Publishing, Inc.. ISBN 1596702311
関連項目 編集
外部リンク 編集
- Rose Bowl Legends: Don Rogers (英語)
- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference (英語)
- ドン・ロジャース - IMDb(英語)
|
|